丹後、銚子山古墳

前回に引き続き、はじめに古墳時代について説明します。
『 三世紀後半か四世紀はじめ頃、畿内をはじめ瀬戸内・北部九州を含む地域で、
前方後円墳と呼ばれる巨大な高塚墳墓が出現し、古墳時代を迎えます。
前方後円墳の分布は急速に広がり、五世紀に入ると南部九州から東北南部に及び、
六世紀後半ないしは七世紀はじめ頃まで各地で引き続いて造営されました。
また五世紀後半からは大形前方後円墳以外の中・小古墳が増大します。
なかでも円墳が密集して造営される、いわゆる群集墳が登場し、六世紀中・後葉をピークに
爆発的な勢いで増大し、全国各地の山間部や島嶼部にいたるまで浸透していきました。
しかしこの驚くべき勢いも七世紀に入る頃からにわかに衰え、
律令国家が確立する七世紀末頃までには、古墳の造営はほぼ完全に終わりを告げます。』



今日は丹後三大古墳のひとつ、網野銚子山(あみのちょうしやま)古墳に登ってみました。
銚子山古墳は、全長198メートルで日本海側最大の前方後円墳なのです。
場所は、京都府京丹後市網野町網野で、網野南小学校の少し北方、
すぐ付近には国道178号線が通っています。



ここから登って行きます。



今まであまり古墳に触れることはなかったんですが、
自分の好きな土地、丹後を深く探っているうちに少し興味が持てるようになりました。



この、丹後では弥生時代後期から古墳時代前期後半にとりわけ有力な墳墓遺跡が展開しています。
また、畿内の巨大古墳の佐紀陵山古墳(奈良市)と同一の設計企画で築造されているという見方があ
り、中央政権と丹後勢力との政治的関係を強く示唆する存在でもあります。




墳丘には石碑が建っていました。





これは眼下に広がる網野の街を眺めたところです。
ずっと向こうには青い日本海も見えています。
きのうの午後から天気はくずれ始めたんですが、
今日のお昼ごろから回復してきて青空をのぞかせてくれました。
午前中の曇り空の名残でわたがしのような雲が浮かんでいます。
やっぱり晴れると心も晴れた気になります。
日本海側最大の前方後円墳の頂上に登れて満足です。