2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

城崎温泉の歴史 8

これまで申しましたように、 一四〇〇年の伝統を持つ城崎温泉は、「歴史と文学といで湯の街」として、 また昔から保養温泉地として親しまれ、文人・墨客が多く訪れており、 四囲緑につつまれ、その中に大谷川の柳桜並木、 それに橋と川と玄武岩の石積み、和…

城崎温泉の歴史 7

大正十四年五月二十三日に発生した北但大地震によって、 城崎温泉はほぼ完全に焼き尽くされました。 旅館や民家、商店など人の手が加わったものは灰になったか破壊されました。 宿代が一日一円の時代に、被害総額は千二百万円を越えていたそうです。豊岡出張…

城崎温泉の歴史 6

“山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、 その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出かけた…。”これは、名作『城の崎にて』の冒頭です。 白樺派の文豪、志賀直哉が最初に城崎を訪れたのは大正二年であった。 その年の八月十五日に東京で電車に跳ね飛ばさ…

穴見郷、そして出石神社

池麻呂、糟麻呂、藤麻呂、田吉女、小当女を追って その故郷へ これは豊岡盆地の真ん中を突き抜けた後、狭い山峡を流れて日本海に注ぐ円山川。 自分からすれば、ちょっとした大河に見えてしまう。 梅雨の明けた夏空の下では至る所から太陽光線や紫外線などが…

浦富御台場跡

以前からよく通る海辺の国道に、“お台場公園”の看板が目についていたので、 朝から夏の日差しが照りつける中、行ってみました。 自宅からは車で二十分ほど。 ここは鳥取県岩美町浦富(うらどめ)海岸にある“浦富御台場跡”です。 そもそも御台場(台場)とは、一…

観音山相応峰寺

行基がどんなお坊さんだったのかほとんど知りませんでした。 “ 弟子の僧・景静ら攀号するも及ばず。瞻仰するも見るなし。 ただ砕け残れる舎利あるのみ。しかれども尽く軽き灰なり。 ” これは『瓶記』による行基の火葬の様です。 七四九年二月八日、荼毘にふ…

城崎温泉の歴史 5

湯島(城崎)に押された“日本一の湯”という太鼓判は、たちまち効果を表しました。 備前(岡山県)の岡山藩士、河合章堯(かわいしょうぎょう)は享保十三年(一七二八)九月、 藩主から暇をもらい伊勢神宮参りをした足で、すぐに湯島を訪れた。 備前の人間が伊勢へ行…