2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

明石の浦

これは兵庫県神戸市垂水区にある舞子公園からの眺めです。向こう側に見える陸地は淡路島です。 方向を少し西の方に向けるとすぐ目の前に明石海峡大橋です。 ここは神戸市になってしまうのですが、明石からはそれほど離れていません。 『 平家物語 』の「鱸す…

平忠度、腕塚神社

ここ兵庫県明石市の山陽電鉄人丸前駅の近くに、平忠度(たいらのただのり)の「腕塚神社」があります。平忠度は平家一門のなかでも歌人として有名で『忠度集』を残しています。また、平忠度は平清盛の末弟になります。 平忠度は一の谷の合戦の時は西の手の大…

平家の落人村7、兵庫県若杉村〜横行村の続編

前回で紹介しました横行の平家の落人一行は、揖保川づたいに山奥へ逃げ、若杉峠を越え、但馬の若杉に至り、某藤原さんという方の家に一泊し、お茶をもてなされたということですが、その藤原さんはどの家なのか知りたくなって横行の村をあとにし、峠へと向か…

平家の落人村6、兵庫県横行村

この村の平家悲話も興味深いものがあります。ここ横行(よこゆき)村は兵庫県養父市大屋町の山あいの狭い谷間の奥にあります。 村に入るしょっぱな、このように村の中央部からかなり離れて二軒孤立して家が建っています。 ここから少し行くと、また二軒孤立し…

平家の落人村5、兵庫県大味村

ここ兵庫県は新温泉町の山あいにある大味(おおみ)村は、平通盛の妻、小宰相局(こざいしょうのつぼね)が隠れ潜んだという伝説があります。 小宰相局は、以前御崎部落のところで紹介しましたが、壇ノ浦で敗れた小宰相局を含む平家の落人一行は、平教盛を大…

平家の落人村4、鳥取県中津村

ここ、中津村は鳥取県は三朝町の山奥にあります。三朝町から途中道を右に分かれ、小鹿川の流れる谷をずっと奥へ奥へ登りつめたところにあります。この部落には平家の末裔といわれる平、平井、将門といった姓があるそうです。また安徳天皇御陵や二位の尼墓所…

鳥取砂丘、砂の美術館

今日は歴史関連の記事ではありませんが、ちょっとわがままをさせてください。この間鳥取砂丘にある『砂の美術館』に行ってみました。砂の美術館は出来てまだそんなに月日が経ってないと思います。どんなふうだろうと、以前から気になっていました。この日、…

平家の貴公子、平重衡の捕らわれの松跡

これは、平重衡捕らわれの松跡です。山陽電鉄須磨寺駅の入り口のかたわらにあります。 一の谷の合戦の時、重衡が生け捕りにされた場所とつたえられている所です。ここへ来るのはこの日が初めてです。捕らわれの“ 松 ”とは何でしょうか? 重衡が生け捕りにさ…

神戸港、清盛塚への旅

神戸の清盛塚をおとずれるのは今日で2回目。はじめて行ったのは2007年の6月だったか…。秋の澄んだ空気の中、どうしているのか気になって行ってみました。自宅から4時間。車を運転するのは大好きなので僕にとっては4時間なんて1時間感覚。秋空の下、…

因幡の采女、伊福吉部徳足比売

伊福吉部徳足比売(いふきべのとこたりひめ)は、因幡の地に勢力を張っていた伊福吉部(伊福部・いふくべ)氏が朝廷に貢進した采女(うねめ)と考えられています。 ☆采女(うねめ)とは中央の朝廷に服属した地方豪族が、その服属の証として、いわば「人質」として貢…

豊岡藩札

徳川幕府は、慶応三(一八六七)年に発行の江戸横浜通用金札・江戸および関八州通用金札・兵庫開港札をべつとすれば、終始硬貨主義で通したため、財政困難にもかかわらず、紙幣の発行は原則としておこなわなかった。しかし、財政困難は幕府だけでなく、地方…