神戸港、清盛塚への旅

神戸の清盛塚をおとずれるのは今日で2回目。はじめて行ったのは2007年の6月だったか…。秋の澄んだ空気の中、どうしているのか気になって行ってみました。自宅から4時間。車を運転するのは大好きなので僕にとっては4時間なんて1時間感覚。

秋空の下、清盛様はにこやかに見えました。平清盛は神戸市民の方々からすれば神様のようなもの。日本有数の貿易港、今の神戸港の礎を築いた人です。

“清盛様、どうか僕の今後を見守ってください…” と手をあわせてお祈りし…。



清盛塚の左側には巨大な十三重の塔、右側には琵琶塚があり、あいだにはさまった清盛塚は小さく見えてしまいます。

左のほうからです。

清盛塚の右側にある琵琶塚です。


そもそもなぜこうして平家の史跡を見つけ出すことができたかと言いますと、3年前に街の図書館で借りた、ある本がきっかけでした。それは、神戸在住筑前琵琶奏者、上原まりさんがお書きになった『平家巡礼』という本です。僕はこの本が大好きです。読みやすくて親しみやすく、すっとその世界に入って行けました。内容は平家物語の説明と上原さんが訪れた平家の史跡の紹介です。ひょっとすれば、この本に出会わなければここへは来ていなかったかもしれません。僕自身も平家巡礼者のひとりです。

そしてこの清盛塚から歩いて5分ほどのところに、平清盛が出家したといわれる能福寺があります。

寺内にはこうした十三重の塔があります。この寺の日記に従えばここが平清盛墓所ということになります。

この寺の日記には、清盛の遺骨はこの能福寺に葬ったとあるそうです。しかし平家物語には経が島に埋めたと書かれています。経が島と能福寺とは同じ地域でさほど離れていません。ということは神戸のこの地域に清盛の遺骨は葬られたのではないでしょうか?

帰りに、須磨浦公園の敦盛塚に再び寄ってみました。

“ 敦盛様、笛の名手なら聞かせてよ ” そう言っても今となっては…。 平家の敗北を予感していたかのように合戦の直前まで笛を吹いていたとか…。そしてその笛は須磨寺に安置されているのではなかったか…。またいつか来ますから、その時までお元気で…、と。

最後は、またいつものようにとなりにある“敦盛そば”というそば屋さんに入りました。

今日は玉子とか魚とか何も添えていないシンプルな“敦盛そば”。 質素ですがおいしいです。気に入りました。