2010-01-01から1年間の記事一覧

越後の龍、上杉謙信への旅

心配した天候でしたが、意外にも、越後は少し晴れ間を見せてくれました。越後への道のりの最終地点、北陸自動車道上越出口が見えた時、込み上げました。平清盛とともに、僕が日本歴史上で崇拝する人物がもう一人いました。平氏滅亡の壇ノ浦の戦いの年から三…

兵庫県御崎村、門脇宰相平教盛の墓

となり町の親戚に用があったついでに、今度こそは…と思い餘部の海辺の信号を左に折れ、断崖伝いに再度御崎を訪れてみました。冬型の天候なのか、朝からあられまじりの冷たい雨と風が吹きつけていました。海は荒れて大シケ、空は鉛色。冬の顔を見せつけていま…

平家の落人村11、兵庫県三尾

兵庫県新温泉町にある海辺の部落三尾(みお)は、以前紹介しました宇日、田久日、鎧と同様に海岸沿いの断崖の間に挟まれた孤立した地区です。何年か前に夕方のテレビのニュースで、“日本一海に近い小学校”というタイトルで放映されたことがありました。画面の…

平家の落人村10、兵庫県鎧

兵庫県香美町にあるこの鎧(よろい)部落にも平家落人の伝承があるようです。以前紹介しました御崎部落から車で15分ほどでしょうか。 前回、前々回と紹介しました越中次郎兵衛盛継の末裔と称した越中家があるようです。細かく調べたわけではありませんのでど…

平家の落人村9、兵庫県宇日村

この部落は前回の記事の田久日部落と隣接していて、ともに越中次郎兵衛盛継と景清が落ちて来たという伝承を持っています。今現在はこうして断崖の中腹に道路がついていますが、その昔は海岸伝いにこの部落へ行くことはまず不可能だったと思います。だからお…

平家の落人村8、兵庫県田久日村

この部落にも越中次郎兵衛盛継が落ちて来たという伝承があります。盛継の供養塔のある城崎を過ぎて海伝いの断崖絶壁をしばらく行くとこの部落に辿り着きます。海に面した狭い谷間に家々が密集しています。この辺りは、昭和40年、但馬海岸有料道路が開通す…

兵庫県城崎温泉、越中次郎兵衛盛継の供養塔

ここは兵庫県豊岡市を流れる円山川の河口部です。まだ午前10時頃で前方からの光線が眩しいですね。 この付近には平家の家人であった越中次郎兵衛盛継(えっちゅうじろうびょうえもりつぐ)の伝説があります。但馬に41か所ある平家伝承地の中で唯一史実と言…

平家伝承地3〜広島県音戸の瀬戸

ここは広島県呉市と音戸町の境界にある音戸の瀬戸です。この画像と記事も前回、前々回の記事とともに同じ行程で訪れた時のものです。同じく生写真をもう一度写しなおしたものです。 ここはかつては地続きだったのですが、交通の妨げとなっていたため平清盛の…

平家伝承地2、広島県竹原市忠海

広島県竹原市の海辺の静かな街、忠海(ただのうみ)は平忠盛の忠を冠してつけられたものだといわれています。 これは、前回の記事で述べました日ノ浦を訪れた帰りにここに立ち寄った時のものです。いずれも生写真をもう一度写しなおしたものです。 忠盛は何度…

平家伝承地、広島県安浦町日ノ浦

ここは広島県安浦町の三津口湾の南側にある日ノ浦という小さな入り江です。何の変哲もない瀬戸内海の片隅の小さな入り江です。平家落人が山陽道から四国へ渡る拠点としてここを設定したことは間違いないと推測されている所です。 この写真は2年前の10月に…

平家伝説、兵庫県横行村の姫ヶ淵

この日、再び横行村の平家伝説、村の奥地に隠れ潜んだ落人の姫が身を投じたという“姫ヶ淵”を求めて、横行村のさらに奥の谷間へ、足を運んでみました。 朝から冷たい雨が降り、途中引き返そうかと思いました。しかし国道の峠を越えるとなぜか雨はぷっつりと止…

京都白河冷泉通り

京都白河は平安時代後期、伏見区の鳥羽とともに院政の拠点といわれる地域でした。下京区の若一神社に参拝したあと、ここまで足を伸ばしてみました。京都の風に吹かれるのは僕にとってはこの上ない喜びです。極上の美酒に酔いしれているようなものです。 これ…

平清盛の西八条別邸跡と若一神社

この若一(にゃくいち)神社にお参りするのはこの日で三回目になります。画面は京都府下京区にある、西大路通と八条通が交差する交差点です。前方の木の繁みの背後に若一神社はあります。 若一神社の前です。京都の街なかの西大路通のわきにある小さな社です。…

大山騒動と僧兵

嘉応二年(一一七〇)四月、大山南光院(なんこういん)の別当明俊(みょうしゅん)は、出雲と伯耆の武士数千騎を率いて中門院(ちゅうもんいん)と西明院(さいみょういん)を攻撃しました。これに対し中門院と西明院の悪僧は逆襲して南光院へ打ち入って放火し、南光…

伯耆大山寺の伝える平家三代

ここ大山寺は、鳥取県西伯郡大山町の伯耆の名峰大山(だいせん)の中腹にあります。大山は中国地方最高峰の山で、標高1729メートル、『伯耆富士』 『出雲富士』とも呼ばれます。ちょうどこの季節、紅葉が実に素晴らしいです。これは大山寺に向かう参道です…

平家の但馬守

平氏の中で最初に但馬の受領となった人は、平正盛です。清盛の祖父ですね。受領(ずりょう)とは、平安時代の地方長官のことです。そしてこの頃、平氏の武名はまだ挙がっていなかったのに対して、源氏は源義家が前九年・後三年の二役を戦い抜いて、武士の長者…

明石の浦

これは兵庫県神戸市垂水区にある舞子公園からの眺めです。向こう側に見える陸地は淡路島です。 方向を少し西の方に向けるとすぐ目の前に明石海峡大橋です。 ここは神戸市になってしまうのですが、明石からはそれほど離れていません。 『 平家物語 』の「鱸す…

平忠度、腕塚神社

ここ兵庫県明石市の山陽電鉄人丸前駅の近くに、平忠度(たいらのただのり)の「腕塚神社」があります。平忠度は平家一門のなかでも歌人として有名で『忠度集』を残しています。また、平忠度は平清盛の末弟になります。 平忠度は一の谷の合戦の時は西の手の大…

平家の落人村7、兵庫県若杉村〜横行村の続編

前回で紹介しました横行の平家の落人一行は、揖保川づたいに山奥へ逃げ、若杉峠を越え、但馬の若杉に至り、某藤原さんという方の家に一泊し、お茶をもてなされたということですが、その藤原さんはどの家なのか知りたくなって横行の村をあとにし、峠へと向か…

平家の落人村6、兵庫県横行村

この村の平家悲話も興味深いものがあります。ここ横行(よこゆき)村は兵庫県養父市大屋町の山あいの狭い谷間の奥にあります。 村に入るしょっぱな、このように村の中央部からかなり離れて二軒孤立して家が建っています。 ここから少し行くと、また二軒孤立し…

平家の落人村5、兵庫県大味村

ここ兵庫県は新温泉町の山あいにある大味(おおみ)村は、平通盛の妻、小宰相局(こざいしょうのつぼね)が隠れ潜んだという伝説があります。 小宰相局は、以前御崎部落のところで紹介しましたが、壇ノ浦で敗れた小宰相局を含む平家の落人一行は、平教盛を大…

平家の落人村4、鳥取県中津村

ここ、中津村は鳥取県は三朝町の山奥にあります。三朝町から途中道を右に分かれ、小鹿川の流れる谷をずっと奥へ奥へ登りつめたところにあります。この部落には平家の末裔といわれる平、平井、将門といった姓があるそうです。また安徳天皇御陵や二位の尼墓所…

鳥取砂丘、砂の美術館

今日は歴史関連の記事ではありませんが、ちょっとわがままをさせてください。この間鳥取砂丘にある『砂の美術館』に行ってみました。砂の美術館は出来てまだそんなに月日が経ってないと思います。どんなふうだろうと、以前から気になっていました。この日、…

平家の貴公子、平重衡の捕らわれの松跡

これは、平重衡捕らわれの松跡です。山陽電鉄須磨寺駅の入り口のかたわらにあります。 一の谷の合戦の時、重衡が生け捕りにされた場所とつたえられている所です。ここへ来るのはこの日が初めてです。捕らわれの“ 松 ”とは何でしょうか? 重衡が生け捕りにさ…

神戸港、清盛塚への旅

神戸の清盛塚をおとずれるのは今日で2回目。はじめて行ったのは2007年の6月だったか…。秋の澄んだ空気の中、どうしているのか気になって行ってみました。自宅から4時間。車を運転するのは大好きなので僕にとっては4時間なんて1時間感覚。秋空の下、…

因幡の采女、伊福吉部徳足比売

伊福吉部徳足比売(いふきべのとこたりひめ)は、因幡の地に勢力を張っていた伊福吉部(伊福部・いふくべ)氏が朝廷に貢進した采女(うねめ)と考えられています。 ☆采女(うねめ)とは中央の朝廷に服属した地方豪族が、その服属の証として、いわば「人質」として貢…

豊岡藩札

徳川幕府は、慶応三(一八六七)年に発行の江戸横浜通用金札・江戸および関八州通用金札・兵庫開港札をべつとすれば、終始硬貨主義で通したため、財政困難にもかかわらず、紙幣の発行は原則としておこなわなかった。しかし、財政困難は幕府だけでなく、地方…

因幡国府への旅

旅というと、なんか遠くへ行くような感じがしますが、自宅から因幡国府までは40分ほどで来れます。旅の目的は『 因幡国庁跡 』。地図上にほんの身近な所にに因幡国庁跡がしるされているのを以前から知っていて、行って確かめてみようと思い立ち、いざ。 そ…

蓮華王院領、温泉荘(ゆのしょう)

二方郡(兵庫県、旧・美方郡)温泉郷は、律令時代の郷がそのままくずれずに、平安時代末期まで存続した郷のようです。 この温泉郷に成長した在勢力の有力者に、平季盛・季広・季長の三代がいました。平季盛は伝領の地の確保を計り、温泉郷司や百姓の抵抗を押…

鳥取、池田家墓所

関ヶ原の戦いで勝った徳川家康は、西軍に加わった因幡伯耆の諸大名の領地を取り上げ、鳥取城に池田長吉(ながよし)、米子城に中村忠一(ただかず)、鹿野城に亀井玆矩、若桜鬼ヶ城に山崎家盛をそれぞれ配置しました。大阪の陣で豊臣家が滅ぶと、翌々年の161…