2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

平家の落人村8、兵庫県田久日村

この部落にも越中次郎兵衛盛継が落ちて来たという伝承があります。盛継の供養塔のある城崎を過ぎて海伝いの断崖絶壁をしばらく行くとこの部落に辿り着きます。海に面した狭い谷間に家々が密集しています。この辺りは、昭和40年、但馬海岸有料道路が開通す…

兵庫県城崎温泉、越中次郎兵衛盛継の供養塔

ここは兵庫県豊岡市を流れる円山川の河口部です。まだ午前10時頃で前方からの光線が眩しいですね。 この付近には平家の家人であった越中次郎兵衛盛継(えっちゅうじろうびょうえもりつぐ)の伝説があります。但馬に41か所ある平家伝承地の中で唯一史実と言…

平家伝承地3〜広島県音戸の瀬戸

ここは広島県呉市と音戸町の境界にある音戸の瀬戸です。この画像と記事も前回、前々回の記事とともに同じ行程で訪れた時のものです。同じく生写真をもう一度写しなおしたものです。 ここはかつては地続きだったのですが、交通の妨げとなっていたため平清盛の…

平家伝承地2、広島県竹原市忠海

広島県竹原市の海辺の静かな街、忠海(ただのうみ)は平忠盛の忠を冠してつけられたものだといわれています。 これは、前回の記事で述べました日ノ浦を訪れた帰りにここに立ち寄った時のものです。いずれも生写真をもう一度写しなおしたものです。 忠盛は何度…

平家伝承地、広島県安浦町日ノ浦

ここは広島県安浦町の三津口湾の南側にある日ノ浦という小さな入り江です。何の変哲もない瀬戸内海の片隅の小さな入り江です。平家落人が山陽道から四国へ渡る拠点としてここを設定したことは間違いないと推測されている所です。 この写真は2年前の10月に…

平家伝説、兵庫県横行村の姫ヶ淵

この日、再び横行村の平家伝説、村の奥地に隠れ潜んだ落人の姫が身を投じたという“姫ヶ淵”を求めて、横行村のさらに奥の谷間へ、足を運んでみました。 朝から冷たい雨が降り、途中引き返そうかと思いました。しかし国道の峠を越えるとなぜか雨はぷっつりと止…

京都白河冷泉通り

京都白河は平安時代後期、伏見区の鳥羽とともに院政の拠点といわれる地域でした。下京区の若一神社に参拝したあと、ここまで足を伸ばしてみました。京都の風に吹かれるのは僕にとってはこの上ない喜びです。極上の美酒に酔いしれているようなものです。 これ…

平清盛の西八条別邸跡と若一神社

この若一(にゃくいち)神社にお参りするのはこの日で三回目になります。画面は京都府下京区にある、西大路通と八条通が交差する交差点です。前方の木の繁みの背後に若一神社はあります。 若一神社の前です。京都の街なかの西大路通のわきにある小さな社です。…

大山騒動と僧兵

嘉応二年(一一七〇)四月、大山南光院(なんこういん)の別当明俊(みょうしゅん)は、出雲と伯耆の武士数千騎を率いて中門院(ちゅうもんいん)と西明院(さいみょういん)を攻撃しました。これに対し中門院と西明院の悪僧は逆襲して南光院へ打ち入って放火し、南光…

伯耆大山寺の伝える平家三代

ここ大山寺は、鳥取県西伯郡大山町の伯耆の名峰大山(だいせん)の中腹にあります。大山は中国地方最高峰の山で、標高1729メートル、『伯耆富士』 『出雲富士』とも呼ばれます。ちょうどこの季節、紅葉が実に素晴らしいです。これは大山寺に向かう参道です…

平家の但馬守

平氏の中で最初に但馬の受領となった人は、平正盛です。清盛の祖父ですね。受領(ずりょう)とは、平安時代の地方長官のことです。そしてこの頃、平氏の武名はまだ挙がっていなかったのに対して、源氏は源義家が前九年・後三年の二役を戦い抜いて、武士の長者…