嘉応二年(一一七〇)四月、大山南光院(なんこういん)の別当明俊(みょうしゅん)は、出雲と伯耆の武士数千騎を率いて中門院(ちゅうもんいん)と西明院(さいみょういん)を攻撃しました。これに対し中門院と西明院の悪僧は逆襲して南光院へ打ち入って放火し、南光…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。