2012-01-01から1年間の記事一覧
憲法は法律の最高峰で、「最高法規」とも呼ばれます。 いかなる法律もこの憲法に従って作成されなければなりません。 その日本の最高法規、日本国憲法は1945年(昭和20)に日本が戦争に負けたことにより、 GHQ(連合国最高司令官総司令部)による民主化…
ついでに去年訪れた奈良県明日香村の『高松塚古墳』を紹介します。 高松塚古墳は奈良県明日香村上平田にある古墳終末期の円墳です。 石室に四神、星宿と人物像の彩色壁画が描かれていたことで著名です。 奈良盆地南部の丘陵上に築かれ、直径十八メートル、高…
今日は丹後三大古墳のひとつ、蛭子山(えびすやま)古墳に上ってみました。 蛭子山古墳は与謝野町立古墳公園内にあり、隣接して作山古墳、竪穴式住居や高床式倉庫 などの古代復元住居、約300年前の町内の民家を移築した「いろりの館」、はにわ資料館などが…
前回に引き続き、はじめに古墳時代について説明します。 『 三世紀後半か四世紀はじめ頃、畿内をはじめ瀬戸内・北部九州を含む地域で、 前方後円墳と呼ばれる巨大な高塚墳墓が出現し、古墳時代を迎えます。 前方後円墳の分布は急速に広がり、五世紀に入ると…
はじめに古墳時代について説明します。 『 三世紀から四世紀末頃までの約100年間は、大和を中心として近畿・瀬戸内の先進諸地域に 出現した前方後円墳が、北部九州から東北南部まで日本列島の大半の地域に広がった時代です。 この過程は、全国各地で近隣…
国道9号線の旧道を砂丘方面へ入って行き、 信号を折れて「こどもの国」、柳キャンプ場方面へ道を進んで行き、 小高い峠付近にさしかかると右手に枝をいっぱい広げて立つ二本の松の木が見えて来ます。 案内板の内容を説明をします。“この松は、旧街道の一里…
この物語を初めて耳にしたのはいつだったのでしょうか、 幼稚園の頃だったのかもしれません。 幼稚園の担任の先生が紙芝居などで教えてくれてたような気がします。 浦島太郎の物語のあらすじは、 “ 漁師の浦島太郎は、子供が亀をいじめているところに遭遇し…
今日は丹後半島の北西部に位置する、 京丹後市丹後町宮にある竹野(たかの)神社を紹介します。 この案内板の内容を説明致しますと、“ 竹野神社は『延喜式』の神名帳で大社として記されている。 祭神は天照大神であり、本殿と並んで摂社斎宮神社があり、 祭神…
過去のことを追究すること、 歴史学とは… 最近ずっとあれこれ考えているわけですが、 今現在生きている人の肖像を描いてみることは簡単です。 今現在姿かたちのない過去に生きた人の肖像を描くことは、 過去になればなるほど、 また史料が少なければ少ないほ…
国道一六三号線を何度通ったことでしょう。 月ヶ瀬村や伊賀方面へ、よく遊びに行ったものです。 ハンドルを左に切ってほんの三分ほどでそこへ行けるのに、 当時はそんなものは知っているはずもなく、いつも素通りしていました。 この周辺、ほんとにのどかな…
太政大臣とは、律令制で太政官の最高の官です。 大宝令では唐の三師・三公にならい、天皇の訓導の官で、適任者がいなければ 欠員でよいという則闕(そっけつ)の官とされる一方で、太政官の首席大臣として詔書・論奏や 勅授位記に著名すると規定されました。 …
ひっそりとしたたたずまいでした。 糺の森です。 京都市内にあるのを忘れてしまうぐらい静かでした。 去年の暮れに、この辺で大河ドラマ『平清盛』の撮影があったのでしょうか。 このたたずまいが、奈良の春日大社を思わせました。 静かで。 この日はじめて…
西行について、まだ深く知らないんですが、 桜をこよなく愛した人物だったようです。 俗名、佐藤義清(のりきよ)。憲清とも。 武門の家に生まれ、 鳥羽院の北面の武士として仕え、 和歌・蹴鞠などに活躍した。 一一四〇年、二三歳で出家。 その後、仏道と和歌…
ゆく河の流れは絶えずして… 平家物語が、琵琶法師によって語られて来たように、 この時代を思い浮かべる時、自分のなかではまず琵琶、 琵琶の音色が響いて来ます。 質素で、重く響く琵琶の音色が。 この激動の世に生き、後年、ひとり隠遁生活を送ります。 ゆ…
最近は魚釣りなんてまったくしてないんですが、 スズキの80センチオーバーのものを一度釣り上げてみたくて、 町を流れる岸田川をはじめ、隣町の矢田川、豊岡の円山川、 県外の鳥取市を流れる千代川などに、 一時期ずっとルアー竿を持ってあちこちに赴いて…
僕はたまに京都に赴いたりするんですが、 ここを通り過ぎる時、 いつも一一四七年に起こったある事件を想像してしまいます。 その時のざわめき、雄叫びが聞こえてくるようです。 これは僕の考え方なんですが、 八百数十年前じゃないんです、 きのうのことな…
歴史学って何なのか、 ずっと最近このことを考えています。 でも、答えが出ません。 平安時代ってどうとらえたらいいんでしょう。 四百年も続いた平安時代、 自分にとっては巨人。 まずはこの詩から、 “新京楽 平安楽土 万年春 ハレ、新京、平安、万々歳 ” …
もう、 二〇〇七年当時の気持ちにもどることはなかなか難しいんです。 あの時はうきうき心躍らせていました。 何か走馬灯のようにその当時の情景が脳裏をよぎったんですが、 時間が経過しますと、 心も入れ替わってしまいます。 世の風とともに心も絶えず変…
“卒塔婆”(そとば)とは、 サンスクリットの“stupa”(ストゥーパ)の音訳で、塔婆とも略し、 もとは仏舎利を安置するための建築物を意味しました。 現在の日本では、追善供養のために文字を書き、墓の脇に立てる塔の形をした木片のことを 卒塔婆と呼ぶことが多い…
“其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王、 九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。 彼親王の御子、高視の王、無官無位にしてうせ給ひぬ。 其御子、高望の王の時、始めて平の姓を給はって、上総介になり給ひしより、 忽…
最近、ある本に書かれていたことなんですが、 平忠盛が保元の乱まで存命であったならば、 その後の歴史はどうなっていたか… ということなんですけども。 というのは、保元の乱というのは、 藤原摂関家の内紛と、天皇家の内紛とが結びついて起こった都におい…
自分の生まれた街の風景、匂いというのはどこへ行こうともずっと心の片隅にあるものだと思います。 どこへ行こうと自分の出発点であり、自分を偽ることのできない土地空間だと思います。 雪の降る国を、生まれ故郷に持っている人は雪をどう受けとめているの…
“又ある人の申しけるは、清盛は忠盛の子にはあらず、 まことには白河院の皇子なり。その故は、去る永久の比ほひ、 祇園女御と聞こえしさいはひ人おはしける。件の女房の住まひ所は、 東山の麓、祇園のほとりにてぞありける。白河院常は御幸なりけり…。” 平家…