奈良を思う

過去のことを追究すること、
歴史学とは…
最近ずっとあれこれ考えているわけですが、
今現在生きている人の肖像を描いてみることは簡単です。
今現在姿かたちのない過去に生きた人の肖像を描くことは、
過去になればなるほど、
また史料が少なければ少ないほど、
それは難しくなります。

現在、過去を問わず人としてどう生きたのかを追究することに、
歴史としてのひとつの意義があるのではと自分なりに思ったりします。
そう思うのは人として…。






これは聖徳太子誕生の地とされる橘寺です。
九月に訪れました。
初秋の陽光がまばゆいですね。
写真はすべて去年訪れた時のものです。


これは正面から眺めたところです。



そして橘寺の向かい側にある川原寺(かわらでら)です。
この寺は天智天皇が母の斉明天皇追善のため、母帝の殯(もがり)を行った
飛鳥川原宮に建てられたと考えるのが妥当と思われます。



ここは藤原京大官大寺(だいかんだいじ)跡です。
「大官」とは天皇をさし、天皇みずからが建立した国家の中心寺院であることを意味します。


今はもう影も形もないのですが、
自分には当時の伽藍が浮かんでくるのでした。



大官大寺跡から逆方向を眺めたところです。
前方に見える小高い丘は天香久山です。
秋の澄んだ風に吹かれて、黄金色の稲穂が揺らいでいました。



そしてこれは藤原京の本薬師寺跡です。
この白い花の絨毯は、ホテイアオイです。
一面に咲き誇ったホテイアオイが、ここを訪れた自分を祝福してくれているようにも見えました。
淡い青色をしたホテイアオイの大合唱です。
ただ、ただ、感動でした。
周辺の休耕田を利用して約14000株が植えられています。
8月中旬から9月中旬にかけて見頃を迎えるようです。



歴史、
それは常に一本の線でつながっていると、
ある本には書かれてありました。
自分は日本史のすべてに精通しているわけではありません。
だから本当の意味での歴史好きではないのかもしれないと、
少し悲観的に考えたりするのですが、
それぞれの価値観、それぞれの心に思い描く情景は皆ちがっています。
それは唯一無二のものだと思います。



興福寺です。



興福寺南円堂です。




猿沢の池から眺めた興福寺五重塔です。
この風景は奈良の代名詞のようなものでしょう。



“ 春の苑(その) 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(おとめ) ”


☆歌意、

《 春の庭園で、紅色に映える桃の花が樹下を明るく照らしている道に、出て立った娘よ。》


これは大伴家持越中国司時代に歌った歌です。
家持の歌の中でも、好きな歌のひとつです。
この歌からは、春の陽光に照らされた明るい情景が浮かんできます。
今はまだ、冬と春の狭間で季節の流れが一進一退です。
この歌のように春の陽光が満ち満ちて来るのは今しばらく先のようです。


大伴家持は自分が大学四年間を過ごした奈良の人です。
ずっといつもとなりにいるような気がしました。



大学当時、一年がほんとに長かった。
今現在自分が感じる時間感覚からすると一年が三年ぐらいのようにも感じられました。
一年一年にどれだけの思い出が敷き詰められているのか。
ずっと春の苑ですね。



友人と当時を思い返しても、お互いが夢のようだったと今でも語り合います。
あの時が夢だったのか…、今現在が夢なのか…、
そういう感覚にも陥ります。
今ある自分なんてまったく想像し得なかったあの時です。
永遠に続くと思われた四年間でした。
あの時の人格形成が、後の人生にどれだけの影響を及ぼしたのでしょう。
今ある自分の根源が凝縮されているようです。




憧れの人、
憧れの土地、
憧れの空の下…。


今となっては憧れにも似た感情を抱くようになってしまいました。




“ 青丹よし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく いま盛りなり ”


この歌は、小野老(おののおゆ)が大宰少弍として赴任した遠い九州の地で奈良を懐かしんで詠んだ歌です。
今、遠く離れているからこそこの歌が心に強く響いて来るわけです。



いったん、都が平安京に遷された後、
平城上皇は廃都になった平城京に宮を造営しました。
これが公式記録にみえる平城宮の最後の大造営です。
上皇は、奈良の都に強い愛着があったんでしょうか。



元明天皇によって藤原京から平城の地に都が遷されたのは七一〇年三月十日。
それから桓武天皇によって長岡京に都が遷されるまでの七四年間が古代の奈良時代です。



桓武天皇長岡京に都を遷した七八四年からすると、
一二一〇年後の
1994年3月、自分たちは奈良の地をあとにしました。



自分にとっての奈良での大学四年間。
唯一無二の奈良時代です。
それは自分の永遠の宝物です。


今ここにいる自分の存在理由は過去にあるのでしょうね。
それが歴史なのかもしれません。
憧れの空の下を今思います。