鳥取砂丘、一里松

国道9号線の旧道を砂丘方面へ入って行き、
信号を折れて「こどもの国」、柳キャンプ場方面へ道を進んで行き、
小高い峠付近にさしかかると右手に枝をいっぱい広げて立つ二本の松の木が見えて来ます。



案内板の内容を説明をします。

“この松は、旧街道の一里松として江戸時代に植栽されたもので、由緒ある名木として名高い。
この地は旅人達が高台で休憩したことから柳茶屋と言われて親しまれ、松の木陰から
鳥取砂丘日本海の遠景が眺められる。
また日本海から侵入する外国船監視所の砲台が昭和三十年代まで残され、交通・防衛の要所となって
いた。この松の近くには有島武郎砂丘を訪れた時の歌を刻んだ歌碑が建てられ、
こどもの国、柳茶屋キャンプ場を近くに配するなど、優美な景観とともに多くの市民の憩いの場として
親しまれている…”



これがほんの近くにある有島武郎の歌碑です。



“浜坂の遠き砂丘の中にして
   さびしき我を見出でけるかも”

の、歌が書かれています。



この松、こう見ると日本海からの強い季節風にあおられて必死に踏ん張ってるようにも、
また、枝で地面を撫でているようにも見えます。
よくここまで枝を広く伸ばしているものだと感心します。



こんなに地面につくまで長い枝を伸ばしているのです。
木にも心があるんでしょうか…。
この松の木を見てそう思いました。



この松の樹齢はおよそ150年。
今から150年前というと1862年。
ちょうど明治維新の頃ですね。



この松がこの世に出現した頃、どんな世の中だったのだろうと思い、
高校時代の日本史の教科書を開けてみました。



そこには、
“ 開国、 ペリー、 日米和親条約、 ハリス、 日米修好通商条約
井伊直弼、 橋本左内、 吉田松陰、 安政の大獄尊王攘夷運動… ”
などの語句が並んでいました。



生まれて間もないころの記憶なんてたいていの人はまず残っていないでしょう。
しかしたまに断片的に残っている人がいるようです。
僕自身は3歳ぐらいまでの記憶なら、印象的な場面が所々残っています。
この松の木は自分が生まれたころのことを憶えているのでしょうか。
この松の生まれたころの時代が気になりました。



この一里松は、明治維新前夜にこの世に出現し、
日本の近代化とともに世を眺めて来た…
そういう木なのです。
自分の生い立ちと、この木の生い立ちとも比較してみました。



最後に、この一里松を見てどんな言葉が妥当なのか自分でつけてみました。
一期一会に…。