八八九

“其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王
九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。
親王の御子、高視の王、無官無位にしてうせ給ひぬ。
其御子、高望の王の時、始めて平の姓を給はって、上総介になり給ひしより、
忽ちに王氏を出でて人臣につらなる。
其子鎮守府将軍良望、後には、国香とあらたむ。国香より
正盛にいたるまで六代は、諸国の守領たりしかども、
殿上の仙籍をばいまだゆるされず。”


平家物語、『祇園精舎』より。



御存知のように、清盛周辺の平家一族は、高望流桓武平氏の祖である高望王
の時に始めて平姓を賜りました。
ではその高望王が生きた時代はどういう世の中だったのでしょうか。



9世紀〜10世紀は、唐の衰亡と関連して東アジアに大きな変動の起こった時期
です。日本でも中国にならった律令制が崩壊し、農村における社会の変動を
背景に、藤原北家による摂関政治の体制が形成されました。
時の天皇宇多天皇(867.5.5〜931.7.19、在位887.8.26〜897.7.3)です。
天皇は院宮王臣家による私的支配の進行を阻止し、律令制支配の維持を
はかる一連の政策を実施しました。
また、菅原道真蔵人頭に補し、五位蔵人をおき、蔵人式を撰定させるなど、
蔵人所を充実させ、京中の治安維持にあたる検非違使の制度も、左右検非違
使庁を定めて毎日政を行わせ、その職掌を定めるなど、
この時期に大いに整備拡充されました。
関白の初例を開いた藤原基経もこの時代に生きています。



余談ですが先日、テレビのNHKで『シリーズ大震災発掘第一回埋もれた警告』
というタイトルで、869年に起きた貞観津波(じょうがんつなみ)のことを言ってい
ました。
貞観地震は平安前期の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日、グレゴ
リオ暦7月13日)に日本の陸奥国東方の海底を震源として発生した巨大地震です。
この時に押し寄せた津波のことは、平安時代に編纂された『日本三代実録』に記
されているようです。
仙台平野の下に貞観津波の痕跡が眠っていることを1986年に初めて発見した
のは東北大学教授の箕浦幸治氏でした。テレビですがそういうものを見ると、
その時代が至近距離のように見えてしまいます。


高望王が平朝臣となったのはそれから20年後の889年頃のようです。
日本三代実録宇多天皇の命により、菅原道真も編纂に関わっているので、
貞観地震津波のことは道真はもちろんのこと、この時代を生きた在原業平や、
藤原基経高望王の耳にも入っていたのかも知れませんね。
(この辺は詳しいことは知りません)



平家の全盛期は正盛、忠盛、清盛の時代ですが、
やっぱり、平家の歴史はこの高望王から始まるととらえたほうがいいのかも知れ
ません…。