歴史に仮定は出来ない…

最近、ある本に書かれていたことなんですが、
平忠盛保元の乱まで存命であったならば、
その後の歴史はどうなっていたか…
ということなんですけども。
というのは、保元の乱というのは、
藤原摂関家の内紛と、天皇家の内紛とが結びついて起こった都においての争乱なんですが、
源氏の親子の為義と義朝は、父為義は崇徳上皇方へ、子の義朝は後白河天皇方へ。
一方平氏の甥、叔父の関係にある清盛と忠正は、清盛は後白河天皇方へ、忠正は
崇徳上皇方へついて身内同士が敵味方に分かれて戦ったのですが、
忠盛は、崇徳上皇と親密な関係にあったのです。
それというのは忠盛は崇徳上皇の子、重仁親王の乳母夫となっていました。
そして祇園闘乱事件でも崇徳上皇は忠盛を援護しています。
忠盛は保元の乱の三年前の一一五三年に亡くなってしまうんですが、
もし、あと少し、
保元の乱まで生きていたらどうであったか、
親密であった崇徳上皇方について清盛と敵対して闘っていたかも知れない…。
となれば、もしかすると清盛の出る幕もなく、平氏政権もなく、
さらには、平安時代がもう少し永く続いていたかも知れないという大胆な仮説なんですが、
どうなんでしょうかね…。



それとは別に、自分としては本能寺の変がなくて信長がその後も存命であれば、
その後の日本はどうなっていたのか…。
このことに、強い関心があります。
これは自分だけじゃなく、誰もが興味を持っていることだと思います。
信長存命であれば、鎖国がなくてもっと海外の文化を早くから取り入れていたのではないか…。
いろいろありますが、
歴史に仮定は出来ないということです。