三山、比較して

もう、
二〇〇七年当時の気持ちにもどることはなかなか難しいんです。
あの時はうきうき心躍らせていました。
何か走馬灯のようにその当時の情景が脳裏をよぎったんですが、
時間が経過しますと、
心も入れ替わってしまいます。
世の風とともに心も絶えず変化しているようですね。
それも心の動きの基となる遺伝子が進化しているからなのでしょうか。
新しい何かを欲しているようです。


でもあえてこの時代をまた語ります。


はじめてこの場所に来た時、
義経の軍団が雄叫びをあげながら、
まるでインディアンのように怒涛の如く駆け下りて来て、
自分が立つその場所は、どんなすさまじい光景が広がっていたのだろうと、
自分なりにその時を想像しました。


そして、どこから下りて来たのかと、
じっと山の頂の方を見つめていました。
もうその時に自分がいるような感覚で。


これから見る山は全て戦場を見て来た山です。
この写真、真っ青なんですが、
自分のイメージからすれば灰色の曇り空のほうが好ましいですね。
須磨の鉢伏山を見上げたところです。



はじめの予定では、二月四日が総攻撃の期日とされましたが、
ちょうど三年前の治承五年(一一八一)閏二月四日に清盛が亡くなったので、
この日はその命日に当たり、仏事供養が営まれるというのでこれを避け、
五日・六日は日柄が悪いということで、二月七日の卯の一点(午前六時)を攻撃開始の日時と定められました。
源平一の谷の戦い、“鵯越の坂落とし”です。



“ ゑい 〃 声をしのびにして、馬に力をつけておとす。
あまりのいぶせさに、目をふさいでぞおとしける。
おほかた人のしわざとは見えず。ただ鬼人の所為とぞ見えたりける。
おとしもはてねば時をどっとつくる。
三千余騎が声なれど、山びこにこたへて十万余騎とぞきこえける…。”


平家物語、巻第九『坂落』より。



ぼやけてますが、こちらの曇り空の写真のほうが自分の中のイメージに合います。



ここも、
全部砂浜だったでしょう、その当時。
美しい砂浜が神戸の方まで延々と続いていたはずです。


ここから見る鉢伏山と鉄拐山も、とても胸に迫っていました。
あの時。


そしてこれは、わが町にある観音山(かんのんさん)という山です。
平面的な枠の中に収まっている写真ですので、
奥行きや立体感や距離感がつかみにくいと思うのですがどうでしょうか。
須磨の鉢伏山、鉄拐山の山並みと自分のなかで、だぶって見えてしまうんです。




それというのも、
標高もあまり変わらないんです。
須磨の鉢伏山が246m。
この観音山が245m。
文献によっては鉢伏山が256mだったり、
自分が実際に鉢伏山頂に登った時はたしか260mという石碑が建っていたと思うんですが…。
多少誤差がありますが、大差はないと思います。



この角度で見るとよくわかるんですが、
はっとよぎるんです、一の谷の坂落としが。
“あ、上から義経が…”と、思ってしまうんです。
でも、ここは自分の町にそびえ立つ観音山なのです。



この角度から見ても、少し似てますよね。
どうでしょうか。


この山の麓には、観世音相応峰寺というお寺があり、奈良時代天平九(七三七)年に行基が創建したといいます。
一時は十二院もありましたが、天正八(一五八〇)年には、秀吉の但馬征伐で全山焼失となりました。



そして最後の三つ目がこの鳥取城跡のある久松山(きゅうしょうざん)。
この山もここから見て、“坂落とし”がよぎってしまうんです。
この辺の距離から眺めると自分にはすごく胸に迫ります。



標高263m。
この山はほんとにそそり立っています、
巨大な要塞の如く。
“四方離れて、嶮しき山城なり”と、信長公記にも記されています。
小さな枠組みの中に入ってしまった写真ですが、生で見てみるともう少し迫力があります。



この久松山は戦国時代の天正九(一五八一)年に豊臣秀吉による鳥取城の渇殺し(かつえごろし)と呼ば
れる攻城戦が行われました。



城主、吉川経家の守る鳥取城を七月より十月まで三、四ヶ月の間包囲して落城させたといわれます。
鳥取市内から眺めたところです。



以上見て来ましたこの三つの山は、
それぞれ戦場を見て来た山です。
標高もみんなだいたいいっしょなんです。大差はないと思います。
山容も似通っています。
だから我が町の観音山、鳥取城跡のある久松山を見ると、
寿永三(一一八四)年の一の谷の戦いの、“鵯越の坂落とし”がよぎってしまうんです。
ひとつ言えることは、この久松山だけは“坂落とし”は出来ないと思います。
やろうものなら馬と一緒に下まで転げ落ちてしまいます。
それほど久松山は急峻な山です。


この記事は一年以上保存してしまってたんです。
公開されないまま没にする… 予定でした。
シングルカットされないレコードのB面曲のようなものです。
この三つの山のことは自分の中でずうっとひっかかってたことです。