西行庵
西行について、まだ深く知らないんですが、
桜をこよなく愛した人物だったようです。
俗名、佐藤義清(のりきよ)。憲清とも。
武門の家に生まれ、
鳥羽院の北面の武士として仕え、
和歌・蹴鞠などに活躍した。
一一四〇年、二三歳で出家。
その後、仏道と和歌に励み、高野山や伊勢国に住する一方で、
奥州・四国などを旅した。
「詞花集」に一首、「千載集」に十八首入集したが、
死後成立した「新古今集」には最多の九十四首が選ばれ、歌人としての名声が高まった。
旅する歌僧として伝説化され、その和歌とともに幾代の文学に大きな影響を与えた。
西行の歌に、こんな歌があります。
“友になりて おなじ湊を 出船の ゆくへも知らず 漕ぎ別れぬる”
☆現代語訳
《友となって、同じ港を一緒に出たのに、やがて行方も分からないほどに漕ぎ分かれてしまった。》
平清盛と西行は同い年でした。
また平清盛と出家前の西行も同じ鳥羽院の北面の武士でした。
歌は、人としての存在そのものも、たどる道も唯一無二だということを意味しているのだと思います。