平家の落人村8、兵庫県田久日村

この部落にも越中次郎兵衛盛継が落ちて来たという伝承があります。盛継の供養塔のある城崎を過ぎて海伝いの断崖絶壁をしばらく行くとこの部落に辿り着きます。海に面した狭い谷間に家々が密集しています。この辺りは、昭和40年、但馬海岸有料道路が開通するまでは、孤立した地区でありました。


このようにわずかな入り江となっています。画面には見えませんが何隻かの小型漁船が陸の上に引き上げられて固定されています。岩の斜面には小さな神社がありますが…。


こういうところは時間が止まっているように感じます。


春はわかめ干しをするのでしょうが、この時期になると海苔を干しているのでしょうか…。


そしてこの地区の中央付近、少し斜面になるのですが公民館がありまして、その公民館の左裏手に「八方龕(はっぽうがん)」と称する石龕(せきがん)があり、中に室町時代の三基の一石五輪塔が祀られてあります。龕は柩(ひつぎ)のことです。


石碑には悪七兵衛景清の名が刻まれています。悪七兵衛景清というと、広島県安浦町にも伝承がありました。しかしこの部落にも景清は越中次郎兵衛盛継とともに落ちて来たという伝承があります。また、景清は本姓は藤原ですが、俗に平景清といわれます。おじ大日坊能忍(だいにちぼうのうにん)を殺害し悪七兵衛(あくしちびょうえ)と呼ばれました。平家一門入水の中で壇ノ浦から逃れ、その後のことは諸説あるようです。


また盛継にはこの部落の伝承ではないのですが、このような別の伝承もあります。盛継は、宮代将監が鎌倉の命を恐れ、盛継をあざむいて美含のほうに行かせ、、湯島口に伏兵を設けて生け捕り、鎌倉に護送し、鎌倉で殺されたといいます。建久三年(一一九二)源氏に捕えられた上総五郎兵衛忠光は、「盛継は去年丹波国に隠れていた。どうしても源氏をやっつけたい意を有していて、居所を転々としている。今どこにいるかわからない」との情報を漏らしている…。これは、平家物語の中に出ている話しですが、平家物語には異本が多く、その中の一つの記載です。盛継は丹波口から但馬をめざしたのか、豊岡市円山川下流部気比地区に伝承が集中しているようです。


田久日を少し過ぎたところの道路です。左側はほとんど断崖のようになって海に落ち込んでいます。まっすぐ行けば城崎マリンワールドに出ます。