兵庫県城崎温泉、越中次郎兵衛盛継の供養塔

ここは兵庫県豊岡市を流れる円山川の河口部です。まだ午前10時頃で前方からの光線が眩しいですね。


この付近には平家の家人であった越中次郎兵衛盛継(えっちゅうじろうびょうえもりつぐ)の伝説があります。但馬に41か所ある平家伝承地の中で唯一史実と言える可能性があるのです。それは平家物語の中に記述があります。平家物語をそのまま全てを受け入れるわけにはいきませんが、実際にこの地へ来た可能性があるのです。


その平家物語の記述ですが、『六代被斬(ろくだいきられ)』の項にあります。六代は維盛の嫡男で、平清盛嫡系最後の人物です。
平家物語は、平家の侍越中次郎兵衛盛継は但馬国へ逃げて行き、気比道弘(けひみちひろ)の婿になっていた…。道弘は越中次郎兵衛とは気づいていませんでしたが、夜になれば舅の道弘の馬を引き出して駆け回ったり、海の底十四、五町を馬で潜りなどしたので、地頭・守護達が怪しんでいるうちにこの噂が鎌倉に伝わり、但馬国の住人朝倉高清に盛継を召し取れとの御教書が下されました。


道弘は朝倉高清の義兄であったから、高清は道弘を呼び寄せて謀議をこらし、浴室で捕えることにして二、三十人ばかりで召し取り、鎌倉に突き出しました。頼朝の前に引き出された盛継は、「いかに汝は、平家の古い一族だそうだのに、なぜ死ななかったのか」と問われ、「あまりにも平家がもろく亡んだために、ひょっとしたらあなた(頼朝)を討てるかと思って、すきを狙っていた。頼朝を討つために、太刀の身のよきをも、征矢のやじりのかねのよきをも、こしらえて持ってはいたが、運命が尽きた今、何も言うことはありません。」と答え返しました。


頼朝は、「志は感心だ、私(頼朝)を頼りにするなら、助命して使ってやろうと思うが、どうだ」と言葉を切り返すと、「勇士は二主に仕えるものではない。盛継ほどの者に心を許されては、きっと後悔されるときがありましょう。早く首をはねられたい」と申したてたので、頼朝は、鎌倉の南の海岸、由井の浜に引き出して斬罪に処したと、平家物語は語っています。
この写真は円山川河口付近にある気比の浜です。静かな浜辺です。物語の言うとおり、盛継はこの辺りを馬で駆け回ったり、馬に乗ったまま海の中に入ったりしていたのでしょうか。


また、盛継をかくまった気比道弘は但馬国城崎郡気比庄の住人です。気比権守(ごんのかみ)道弘といい、気比は津井山湾に面した要地であり、気比氏は水軍と考えられています。写真は気比道弘が住んでいたと思われる気比地区です。


そしてその盛継の供養塔は、円山川河口付近にある気比地区から車で10分ほど川を遡ったところの城崎温泉の湯島の弁天公園にあります。これがその盛継の供養塔(宝篋印塔)です。


供養塔の左側にある碑文です。鎌倉で処刑された盛継を「城崎土豪某の女、曽て盛継通す、屍を収めて瘞(うず)む、此墓即是なり」と、同地での伝承を記述しています。


また盛継には現地妻がいました。宮代将監の娘だといいます。気比の白山神社社殿付近にある宝篋印塔も、城崎の盛継塔も、ともに彼女が建立したものと伝えられています。一説では、城崎の分は、在地の人々や彼女ではなくて、盛継がなじんだ湯島の遊女が建てたともいわれます。湯島の遊女とはこの碑文に書かれてある「城崎土豪某の女」のことだと思います。

画面中央、赤い鳥居の左奥が盛継の供養塔です。


弁天公園入り口です。弁天公園は10メートルほどの小高い丘になっています。


また盛継は、祖父盛国、父盛俊とともに三代にわたり一門に仕えた相伝の家人でした。父盛俊が越中守だったことにちなみ越中次郎兵衛と名乗りました。平家物語の『鶏合 壇浦合戦』の項では、壇ノ浦合戦の軍議において義経のことを、“色白で背が低く出っ歯である”と盛継は語っています。それは盛継様の言うとおりなのでしょうか。
それから祖父盛国ですが、清盛の側近として活躍し、保元・平治の乱にも参戦しました。平家納経にも深く関わったほか、養和元年(一一八一)清盛が病没したのも京都九条河原口の盛国の家においてでした。本拠は伊勢と思われますが、鎮西にも地行所を有していました。

そしてここからですが、せっかくですので城崎の温泉街を画像を通して楽しんで頂けたら幸いです。


川には鯉がたくさん泳いでいたので思わず写してしまいました。


城崎温泉は古くから文人墨客に愛されてきた歴史ある温泉です。『城崎にて』の志賀直哉をはじめ吉田兼好松尾芭蕉島崎藤村有島武郎などの文人が城崎を訪れています。7世紀はじめコウノトリが傷を癒していたことから発見され、8世紀に道智上人によって現在の「まんだら湯」が開かれたと伝えられています。


この温泉街を特色づけるのは、地蔵湯、柳湯、一の湯、御所の湯、まんだら湯、鴻の湯の6か所の外湯です。


この通りは城崎のメインストリートと言いましょうか、土産物屋や旅館が密集していて、祝日や日曜日となれば車が通行するのが困難なほどの人出です。年間を通して温泉客が絶えません。通りの奥には志賀直哉が宿泊した三木屋もあります。


橋のたもとにあるのは飲泉場です。


柳並木がとても風情がありますね。この日はとりわけ空気が澄んでいたような気がします。水面にもはっきりと柳が映っていて風流です。但馬を代表する城崎温泉。これから3月ぐらいまでカニのシーズンです。城崎へお越しの際はぜひカニすきを召しあがって下さい。