平家の落人村9、兵庫県宇日村

この部落は前回の記事の田久日部落と隣接していて、ともに越中次郎兵衛盛継と景清が落ちて来たという伝承を持っています。今現在はこうして断崖の中腹に道路がついていますが、その昔は海岸伝いにこの部落へ行くことはまず不可能だったと思います。だからおそらく直接山を越えて行かなければならなかっただろうと思います。以前紹介しました御崎部落もそうですし、だいたい平家の落人部落は人の近づきにくい辺鄙(へんぴ)なところにあります。


そして村の名前ですがどういうんでしょう? 宇日“うひ”と読むんでしょうか。となり村の田久日にしても、“たぐひ”と読むんでしょうか。はずかしいですが地元民の自分にもわかりません。ひとつ言えば自宅からここまで1時間ほどかかりますが。


悪七兵衛景清の“悪”ですが、現代語の意味では悪者、悪人、善の反意語ですが、その当時の呼び名の悪は何かの本で読みましたが、強い、勇ましい、というような意味であったと思います。源氏にも悪源太義平(あくげんたよしひら)がいます。義平は源義朝の子で、義経や頼朝の兄になります。


また、盛継には京都になじみの女がいて、ある日大胆にも京都のこの女のもとに行き、雑談のうちに自分の隠れ場所を語ってしまった。他言を固くいましめてはいたものの、この女の口から盛継の隠れ場所が鎌倉に伝わり、討伐の命が建久五年(一一九四)道広に下ったともいわれます。この話しが本当なら、壇ノ浦の合戦から九年もの間潜伏していたことになります。よくも隠れ通したものだと思います。この盛継にはいろいろ異説が多いようです。


向こうに見えるのは竹野という漁村です。静かで美しい浜辺です。