平家伝説、兵庫県横行村の姫ヶ淵

この日、再び横行村の平家伝説、村の奥地に隠れ潜んだ落人の姫が身を投じたという“姫ヶ淵”を求めて、横行村のさらに奥の谷間へ、足を運んでみました。
朝から冷たい雨が降り、途中引き返そうかと思いました。しかし国道の峠を越えるとなぜか雨はぷっつりと止み、寒風にさらされた晴れ間が見えてきました。
栗の下から横行の谷間へ入って行くと以前来た時よりも紅葉が進み、日の光りに照らされて山が輝いているようにも見えました。
横行を過ぎて、ずっとずっと奥へ渓流沿いの谷間を上って行きました。
平家ヶ城は…、姫ヶ淵は…
すると突然、谷間の道の途中で平家ヶ城跡と書かれた小屋が現れました。
小屋の前には薪を燃やしたあとがありました。ちょっとした休憩所になっているのでしょうか…。


これは小屋の右横の横行の平家伝説の看板です。そしてさきほどの小屋とこの看板の真後ろ。


おそらく姫ヶ淵は、この淵ではないかと思います。小屋の背後を渓流が流れ下って行っています。今は浅瀬になっていますが当時はもっと深かったのかも知れません。川というのは長い年月で姿を変えて行きます。それに林道を造るときの工事の影響もあるでしょう。


これはほんの20メートルほど上流側の橋の上から姫ヶ淵を眺めたところです。


反対方向の20メートルほど下流側の橋の上からの姫ヶ淵の眺めです。


そして姫ヶ淵から真上を見上げてみると、このような岩がありました。おそらくは、この岩から身投げしたのではないでしょうか…。


これは別の角度からです。少し上流のほうからこの岩を見たところです。


この画像だと姫ヶ淵と上の岩との位置関係と高さがわかります。


はたして姫ヶ淵はほんとうにここなのか…。この岩から身投げしたとすれば、真下に先ほどの淵がありますからやはりそのあたりが姫ヶ淵になるのではないでしょうか…。


また先ほどの看板には、“城の下の深い淵に身を投げたと伝えられています…”と書かれています。ではあの岩のあたりに城が造られていたのでしょうか…? 城というか、庵のようなものであったのかもしれませんし。こんな山奥に隠れ住むのですから。
もしくは平家ヶ城はこの岩のあたりではなく、反対側の山の断崖の上だったのかもしれませんし。写真には写していませんが。
それかもしくは最初の画像にありました小屋のあたりにあったか…。でもそんな低い位置にあると追っ手が来るとひとたまりもありません…。自分でいろいろ考えました。


また、その最初に自分が姫ヶ淵ではないかと思った淵からほんの少し4、50メートルほど下流方向に下ったところに、またそれらしき淵がありました。ひょっとしたらこっちなのかなあとも思いました。この画面の右側は絶壁になっています。


姫ヶ淵のところから少し上流のほうへ上って行くと道のわきにこんな巨木がありました。このあたりの長老なのか…? 
大学時代、ゼミで屋久島の縄文杉を見に行ったことがあります。その縄文杉がよぎりました。幹の太さは縄文杉には全く及びませんが。この木、たぶん桂の木じゃないかと思うのですが…。この木がすべてを知っているのなら、問いかけたい気分でした。姫はなんという名前の人だったのか、誰が、どれだけの人数でここに隠れ潜んで、どれだけの日々を、どんな生活をしていたのか。伝説は事実なのか。それは八百年の時の向こう。答えて欲しいです。


最初の平家ヶ城跡に戻って来ました。


熊が出ないか出ないかと、常に周囲を気にしながら車からあまり離れずに撮影を続けました。幸い、少し上流のほうに多分イワナ釣りではないか…、男の人がひとりいたので少し心強かったですが。


この日はずっと谷間を寒風が吹きぬけていました。


この日、自分が確認したところが誤りであるならば、また後日訪れたいと思います。
横行谷にも、もう冬の足音が聞こえてくるようです…。