因幡の采女、伊福吉部徳足比売
伊福吉部徳足比売(いふきべのとこたりひめ)は、因幡の地に勢力を張っていた伊福吉部(伊福部・いふくべ)氏が朝廷に貢進した采女(うねめ)と考えられています。
☆采女(うねめ)とは中央の朝廷に服属した地方豪族が、その服属の証として、いわば「人質」として貢上されたものです。采女は中央の朝廷に仕える麗人であるために、当時の最も華やかな衣装を身にまとい、朝廷の中はあたかも華麗な花が咲いたような雰囲気に包まれていました。
因幡の豪族、伊福吉部(伊福部いふくべ)氏の娘、徳足比売(姫)は、藤原京の文武天皇の時代に朝廷に仕え、慶雲四年(七○七)、従七位下を贈られましたが、翌和銅元年(七○八)七月一日、大和で亡くなりました。和同三年(七一○)十月火葬にされ、骨灰は古郷の因幡に送られたということです。
またこの時代、仏教の影響もあってこれまでの土葬から火葬に移って行きました。こうしたなかで地方出身の、しかも女性である徳足比売が火葬にされていたことは大変めずらしいそうです。
大和では倭采女日之媛、采女童女君、小墾田采女、八口采女鮪女、山城では栗隅采女黒女、伊賀では伊賀采女宅子媛、伊勢では伊勢采女、伊勢国之三重采女、采女伊勢大鹿首小熊女、備前では吉備上道采女大海、備中では吉備蚊屋采女の名が知られています。
これは鳥取県国府町にある無量光寺(むりょうこうじ)というお寺ですが、このすぐ裏手の100メートルほど登った山のなかに徳足比売の墓地跡があるそうですが…。
ここから歩いて行こうとしましたが、前方からスズメバチが飛んで来たため猛ダッシュで逃げ、断念しました。秋はスズメバチや熊がよく出没するので登山などは控えようと思います。実物を確かめたかったし、その写真を載せれなかったのはくやしいです。