平家の落人村11、兵庫県三尾

兵庫県新温泉町にある海辺の部落三尾(みお)は、以前紹介しました宇日、田久日、鎧と同様に海岸沿いの断崖の間に挟まれた孤立した地区です。何年か前に夕方のテレビのニュースで、“日本一海に近い小学校”というタイトルで放映されたことがありました。画面の右下がその三尾小学校です。この小学校の校庭で野球やサッカーなどをしていたら、すぐにボールは海に落ちてしまうでしょう。


この三尾は、海を伝わって貴人渡来の伝承も多いようです。神功皇后後鳥羽上皇も来たといいます。



そして平家落人の伝承もあり、鎮守社八柱神社には、現在でもその印の赤色の幟を立てているそうです。この日はそれらしきものは目に入りませんでしたが。それはここに限らずほかの地域でも所々そういう習わしがあるようです。


中村某家には、平家が泊った礼に赤さやの刀を置いていったと伝え、小西某家の墓碑には「初代従三位中納言小松三郎平知盛」とあるそうです。


三尾の部落の中には、このような平家伝説の看板があります。これは以前8月に紹介しました御崎集落の伝説です。この御崎には毎年1月28日に「百手の儀式」(ももてのぎしき)という伝統行事が行われます。101本の矢を的に目がけて射るそうです。なぜ101本なのか今のところ自分にはわかりません。よく日本海新聞やテレビのニュースなどでも紹介されます。


この地図を見て頂ければわかりますが、三尾から御崎までは近い距離です。図の左のほうにある平内神社のある辺りが御崎集落です。絶壁伝いの道を車で15分ぐらいで行けます。御崎は但馬の平家部落の中でもとりわけ有名で、門脇宰相(かどわきのさいしょう)平教盛を大将とする平家の落人一行七人が流れ着いたと言われています。平教盛の門脇という呼び名ですが、その当時京都六波羅には地区全体の門があり、その門の脇に平教盛の邸宅があったことから門脇殿と呼ばれるようになったと言われています。そして兵庫県北西部や鳥取県東部には門脇を名乗る人達が多く住んでいらっしゃいます。今でも京都六波羅には門脇町がありますね。