城崎温泉の歴史 5

湯島(城崎)に押された“日本一の湯”という太鼓判は、たちまち効果を表しました。
備前(岡山県)の岡山藩士、河合章堯(かわいしょうぎょう)は享保十三年(一七二八)九月、
藩主から暇をもらい伊勢神宮参りをした足で、すぐに湯島を訪れた。
備前の人間が伊勢へ行った後、帰り道にある有馬に寄らず、わざわざ遠回りしたのでした。




享保十八年に木版印刷で出版された「但馬湯嶋道之記」は河合の体験をもとに書かれた旅行ガイドブックで、
江戸時代中期以降に数種類登場する“湯島案内記”のハシリとなりました。

河合が通った道は伊勢から滋賀県大津ー京都ー福知山ー宮津ー岩滝ー久美浜ー飯谷(城崎町)ー楽々浦(同)ー湯島。
帰りは播磨路を経て備前へとなっています。
円山川を下らず、楽々浦ー湯島などの渡し船以外は全部陸路を利用したらしい。
竹田(和田山町)ー豊岡間の円山川高瀬船は宝暦三年(一七五三)に運航を始めたから、まだ船便はなかったようです。