元亀二年頃、山中鹿之助(幸盛)は信長に謁し、中国征伐の先鋒となり、山陰に入って故国出雲を回復しようとしました。丹後から因幡の海岸に渡り、船を岩本につけ、浦富の桐山城を攻めてまずここに籠りました。 その頃因幡では武田高信が鳥取城によって布施の屋…
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