宇部神社

これは鳥取県国府町宮下にある宇部神社(うべじんじゃ)です。


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平安時代因幡の政務の一端を伝える記録に「時範記」があります。
時範記は、平時範が承徳三(一〇九九)年二月に国守として因幡国に下るところからはじまります。
 京を出て山崎に宿泊した一行は、摂津国から播磨国明石駅美作国境根を経て因幡国へ向かい、因幡智頭に宿して、京より七泊八日の旅程で因幡国府に到着します。新任の受領が任国に下向してくると、在国の国衙官人らは国境にでむいてこれを迎える儀式がありました。国守が任国に下向したとき、まず第一に行うべきこととして国内諸神の参拝があります。
 時範記によれば、吉日を選んで神拝を二月二十六日と決定、まず、惣社に参拝し、遠方の諸社へは「館侍十人を使」とし幣帛、神宝、告文を奉上し、ついで在庁官人をしたがえて宇部社に参拝しています。こののち時範は坂本社、三嶋社、賀露社、服社、美歎社の五社に参拝し国府へ帰着しました。
 この五社のうち、坂本社、美歎社を別にすると、あとの三社はいずれも袋川か海岸に面しています。これらの社は因幡から京に送る財物、米の積出場と密接に関係があり、運上米の船積み、船の安全な就航などを祈願する意味があったようです。
 このなかでも注目すべきは、宇部宮を中心とする神事・仏事であります。三月一日の朔幣、六日の百座仁王会、十五日の春の臨時祭などがくわしく記されています。時範の因幡国滞在四十二日のうち、宇部社での神事・仏事の記述は八日にものぼります。因幡国一宮の地位を得る宇部社は、伊福部氏の祭神として知られています。