雪の因幡国府

しばらく暖かい日が続いていましたが、二月に入って久しぶりの雪が降り、
因幡国府に行ってみました。
大伴家持がこの歌を詠んだ時の、その時に行ってみることができるような気がして。
ずっと以前から雪の因幡国府に行ってみなければならないと思ってました。


以前にも紹介しました、因幡万葉歴史館。
時の塔です。





前方は甑山です。


前方にまっすぐ道がのびています。その道の突き当たったところに建物がかたまっていますが、
建物の右の辺りが因幡国庁跡です。
画面の右前方にもう少し行けば鳥取市街が広がっています。
まっすぐ行けば、日本海です。降りしきる雪で白く霞んでいます。


左が甑山です。真ん中にそびえる塔が、時の塔です。



これは前回紹介しました、“伊勢物語”での在原業平の兄、行平の歌碑です。意外なところでこんなつながりがあったのです。
たち別れ…の文字が少し見えますね。


家持の歌碑です。鳥取県国府町の『庁』という村のなかにあります。
青い看板の左後方がそれです。


因幡国庁跡が近づいて来ました。


冬という季節と、この白い景色が好きなのです。
そしてこの因幡国庁跡のある周辺の景観がなにか好きなのです。ほっと落ちつけるような感じがして。
どこか奈良の都と少し似ているような風土で。




この歌に、どんな意味が込められているんでしょうか。
“新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事”
万葉仮名で、
“新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家余騰”
大伴家持因幡国の国守に任命されたのは、天平宝字二年(七五八)六月十六日。その翌年の天平宝字三年、今から一二五二年前の正月一日、
雪の降りつづく国庁に国司や郡司などを集めた新年祝賀会の席上、家持が詠んだのがこの歌です。
家持はこの歌を最後に、一切歌を歌わなくなりました。
万葉集』最後を飾る歌、万葉終焉の歌でもあります。