因幡の城、桐山城

桐山城(きりやまじょう)は鳥取県岩美町浦富の標高二〇三メートルの紀伊ヶ山にあります。前方に見える山の頂です。創建の年代ははっきりしません。 天正八年(一五八〇)、豊臣秀吉鳥取城攻めの時、桐山城に垣谷(かきや)播磨守光成を入れて、但馬との繋ぎの城としたが、同九年、因幡平定後は垣谷光成を桐山城に配して巨濃郡一万石を給しました。文禄元年(一五九二)、光成は隠居して宗管と号し、その子隠岐守恒総に家督を譲った。同年二月二十三日、隠岐守の朝鮮出陣の間に宗管は没しました。宗管の墓は、現在は浦富定善寺の入り口にあり、垣谷八幡宮として祀られています。垣谷父子の桐山城在城は二十一年間で、その間に城郭や城下町が整備されたようですが、詳細は不明です。なお、垣谷氏は代々但馬国守護代を務めた家柄でした。但馬の支配権を握っていたのです。永正九年(一五一二)には、亀城(豊岡城)を築き本拠と定めていました。前回のブログで紹介した、鳥取城攻城戦の時丸山城を守っていた奈佐日本助はこの垣谷光成の家臣でした。ちなみに、歴史の話しからははずれますが、ここ浦富海岸は『山陰の松島』と呼ばれる風光明媚な海岸がこの写真のもう少し向こうにあります。夏になると海水浴客やサーファーなどでたいへんにぎわいます。                            
一瞬城跡のある山頂へ登ってみたい気もしましたが、道がわかりませんし非常にローカルな城なので野蛮な感じがして即座に断念しました。

垣谷八幡宮です。静か〜な海辺の村のなかにひっそりとたたずんでいます。