但馬のお城、竹田城

この日はもうひとつ天候に恵まれませんでしたが、兵庫県朝来市にある日本屈指の城跡『竹田城跡』に行ってみました。最近すこしすずしくなってきたかなあと思ってたんですが最初強い日差しが照りつけていて、この暑さじゃまた夏にもどったなあとうんざりし、すこし落胆して車を飛ばして行きました。竹田城はずっと以前から知っていましたが、自宅から少し距離があるため(一時間半ほど…すごく遠いというほどでもないですが)敬遠していました。そして初めての登城です。和田山を抜けて国道312号を少し走って竹田城の看板が見えて来たのでそこを右に折れて川を渡ったらまた看板がありました。                                  
竹田城跡のある山の中腹には休憩所(道の駅?)があります。ここで少し休んでジュースを飲み。
そこから山道をくねくねしばらく行くと城跡のある山頂の少し下あたりに駐車場がありました。車を停めようかと思いましたが満員御礼で入り口にずらりと待たされてしまいました。なんで…?と、思ってそこで初めて連休中日ということに気付きました。15分ほど待ってからいざ登城。登り口に“熊に注意”の看板があり、やばいかなと思いましたが大勢の人がいたのでとりあえずは…という感じで登って行きました。                                                    
しばらく急坂を登って行くと石垣が立ちはだかりました。思わず圧倒されました。    
石垣のすそを歩いて行って。                            
そしていよいよ。                                                                            城跡があらわに。これは花屋敷跡(天守台の北西部に位置する建物の跡地)から本丸の石垣を写したものです。             
本丸跡から花屋敷跡を見降ろしたところです。                      
ここで竹田城跡の概要を申しますと、JR播但線竹田駅の西方、古城山(標高353.7m)の山頂部が竹田城(虎臥城)です。嘉吉年間(1441〜4)に、守護大名山名持豊(宗全)の有力家臣のひとり、太田垣氏に築かせた城であります。そのころの竹田城は砦(小規模な要塞)に近い状態であったようです。その後文禄年間(1592〜5)から廃城になった慶長5年(1600)に近い頃、今のような豪壮な石垣積みの城郭となりました。竹田城の縄張りは、最高所の天守台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式に配され、大手口を防御する枡形部に沿って北千畳郭と搦手口のある南千畳を双翼とし、さらに天守台の北西部には花屋敷と称する一郭を配しています。城の規模は南北約400m、東西約100です。そして竹田城の見どころは石垣にあります。この石垣は穴太(あのう)積みと呼ばれる石積み技法を特徴としています。穴太積みとは、近江(現滋賀県)坂本を中心に発達した石垣構築法です。安土城をはじめとする城郭の多くが、その技法により築かれています。竹田城は、石垣が築かれてから約400年経ちますが、一部の復元箇所を除いて当時のままの姿を今日に伝えています……。 そして天守台に登って行きます。最初の写真を見てもわかりますが、中腹の駐車場から登り始めてほんの30分ぐらいの間ににわかに曇って来ました。これじゃああやしい感じです。                                 
そしてこれが城郭中央にある本丸跡の石垣です。中央の階段を登って。                      
本丸跡からの眺めです。                                     
本丸跡の碑です。大勢の人がいました。無人の状態で写真を撮ることができませんでした。みんな京阪神のほうから来られているようです。ところどころに寄り添ってジュースを飲んだり弁当を食べたりしておられました。                         
これは本丸跡の隅にある天守台跡の石垣です。ここが最高所です。                     
天守台跡の碑です。                                    
これは北千畳の眺めです。ここの眺めは圧巻です。                          



しかしよくこれだけの規模の城郭を山の頂に築くことができたなあと、しばらくふけってしまいました。
これは天守台から竹田の街を見下ろしたところです。足がすくみました。            
これは北千畳とは逆方向の南千畳です。城郭図があれば位置関係がわかりやすいのですが申し訳ありません。添付すべきでした。     
これは……櫓があったんでしょう。                           
同じものです。別の角度から撮ったものです。                      
本丸跡の石垣を下から見上げたところです。                       
本丸跡から下りて少し遠方から撮ったところです。おおげさですが、万里の長城に来たような、またスコットランドの古城を見ているような、少しそんな気分にもなりました。晴れていればもっとどんなに素晴らしい眺めであったか、曇っているのが悔しいです。       
以前鳥取城について書きましたが、鳥取城は天空の城と呼ばれ、登ってみればその眺めは格別でした。しかし城郭については竹田城には圧倒されました。言葉を失ってその威容に見とれてしまいました。日本屈指と言ってもいいでしょう。歴史について書いてきたつもりですが、徐々に歴史から独立してお城について書いてしまっているようです。城好きの方からすれば、自分などはまだほとんど何も知らない序の口の青二才なんでしょうが。 城に魅せられてしまった自分ですが、ここへ来た本来の目的は豊臣秀吉の但馬進攻について書くつもりだったのです。最後に申し上げますと、秀吉の第二次但馬征伐は、天正八(一五八〇)年に始まり、秀吉の弟秀長らに竹田城を攻略されここを拠点とし、次いで出石城を攻略して秀長は出石城主となります。そして、後の鳥取城の攻城戦へとつながって行くのです。