但馬のお城、出石城

戦国時代の豊臣秀吉の但馬征伐の過程を追いながら今度は出石城を訪れました。戦国期当時の城はこの城郭の背後の山、有子山の山頂にありました。今現在の出石城は、有子山城落城の後、小出氏が領主となり、山麓平山城を築城したものです。この時城下町づくりも行われました。元禄十年(一六九七)松平氏が移封されましたが、宝永三年(一七〇六)に信州上田の仙石氏とお国替えになりました。仙石氏は七代に渡り、出石藩を治めましたが、仙石騒動により減封され明治に至っています。そして戦国期、秀吉の第二次但馬征伐は、天正八(一五八〇)年に始まりました。秀吉の弟秀長は、先に山名が回復していた竹田城を攻略し、宮部善祥坊継潤と共に五月十六日、出石城主山名氏政を逃亡せしめ、氏政の父祐豊は城に残って、同月二十一日、七十歳で病没したので、出石城を収めた。ここに、長い歴史を有する但馬山名は滅亡してしまいます。そして、秀長は出石城主となります。これは登城門まえの登城橋です。
登城門です。                                     
前方に出石の街が見えます。                              
これは昭和43年に本丸跡に復元された隅櫓です。                     
出石のシンボル、辰鼓楼(しんころう)が見えています。出石城跡からすぐのところにあります。                    
辰鼓楼の真下からアップ。                              

小京都といわれる出石、ほんとに京都みたいです。京都の街を歩いているような錯覚に陥ります。この日は連休中日でお客さんでごったがえしていました。そばやさんがたくさんあります。“ 出石そば ”は食べる価値があると思います。一度ご賞味くださいませ。