桜咲いて

ここは朱雀門
前方の道は朱雀大路
平城京朱雀大路の路面幅は、六十七メートルほどもあったようです。
ここから真っ直ぐ行けば、羅城門に突き当たり、
羅城門をくぐればそのまま下ツ道となり、藤原京へと続いています。




七〇七年、子の文武天皇の譲位の意思を受けて即位した時すでに四十七歳。




古代は女帝の世紀。
即位は、首皇子即位への中継ぎだったのでしょうか。




幼名、阿閉皇女。
六六一年、天智天皇の第四皇女として生まれました。

姉の持統天皇とともに蘇我氏の血をひいています。

藤原不比等らの補佐のもと律令政治を推進し、

七一五年、娘の氷高内親王に譲位しています。






元明天皇の生涯も、決して平穏なものではなかったはず…。
夫の草壁皇子、子の文武天皇にも先立たれ、さらには都を遷さなければなりませんでした。

住みなれた土地を離れるというのは、なんとなく心が落ち着きません。
植物で言えば根っこをぬかれてしまうようなもの。
いわば、根なし草とでも言いましょうか。
旅というのは一時的に居住空間が変わること、
そうではなく、見知らぬ土地に移り住むというのは永久に居住空間が変わってしまうことです。



姉、持統天皇の造り上げた藤原京
草壁皇子文武天皇とともに過ごした住みなれた都を離れたくはなかったことでしょう。



ほんのひと時ですが、
今年もこうして桜は微笑みかけてくれました。
幾千年、どのようなこの短いひと時があったのか。



この冬は雪深く、例年にくらべ開花がかなり遅れていました。

ひょっとしたら咲かないのかな…、とさえ思いました。




今年の桜はささやかな希望の光りのようにも思えます。



奈良に都が遷されたのは七一〇年三月十日。
それから間もなく、桜の咲き誇る季節を迎えています。




遷都後、間もないころの平城京はしばらく造都工事が続いていました。

過酷な労働に疲れて逃げだす役民も多かったようです。

平城京全域に一般庶民の住宅や大寺院が立ち並び、活気を帯びて来るのは奈良時代の半ば以降のことです。




元明天皇が奈良に都を遷されて間もないころ、
都に桜は咲いていたでしょうか。


住みなれた土地を離れ、新京での慣れない生活の中でどのようにこの時を感じ、

どのように、元明天皇の目に咲き誇る桜が映っていたのか。


平城遷都をなされた年から一三〇一年後の今、
咲き誇る桜を眺めています。