猿沢池散策
もう当分の間、奈良には来れないと思い、またこうして奈良へ来てみました。
今まで、ありがたい限りで二連休の設定で休みをもらっていましたので遠方へ赴くことができたのですが、
残念ながら転勤になり、こうしてまた。
また再び簡単に連休が取れるとは限りません。
本当はもう少し奈良時代の歴史を習得したうえで再度訪れるつもりだったのです。
はじめてここへ来たのは大学受験の時でした。
もう何年前になるんでしょう。
この猿沢池のほとりの旅館に泊まりました。
受験当日の朝、まぶしいぐらいに晴れていて朝日が寝室に差し込んでいたのを憶えています。
この池をはじめて見て “これが奈良…、なんて風流なんだろう…”
そう純粋に思って、しばらく見惚れていました。
大学生活を始めてからも、何度も訪れています。
でも、この周辺地域が歴史的にどういう意味があるのか、
ほとんど知らずにこの光景を眺めていました。
この猿沢池のとなりには興福寺があります。
“興福寺”という名前さえも当時は知らなかったかったのかもしれません。
歴史ファンからすれば、恥ずかしいですね。
毎日毎日楽しい日々で、浮かれてましたから…。
興福寺は、藤原氏の氏寺です。
春日大社を含むこの高台の一等地は藤原氏の占有地帯でした。
大学時代、歴史についてほとんど無知で、触れることもなかったのに、
卒業して何年も経ってからまったく違った目で同じ光景を眺めているというのもおもしろいというか、
皮肉というか、どういう言葉が当てはまるのでしょうか。
もし、あの時史学科に籍を置いていたなら、その後の人生も変わっていたかも知れません…。
階段を上って興福寺の五重塔のところに来た時はもう黄昏時に近かったです。
夕方というのはオレンジ色の陽光が照りつけ、
建物や、辺りの光景をとても美しく彩ります。
住みなれた都を離れるというのはつらく残念なことです。
“ 飛鳥の 明日香の里を 置きて去なば
君があたりは 見えずかもあらむ ”
元明天皇が平城遷都のおり、長屋原で歌った歌です。
どういう心境であったのだろうかと思っていたら、自分もこの通りになってしまいました。
この歌とまったく同じ心境です。
しかし、いつになるかわかりませんが、この歌が詠まれた地と飛鳥の地を訪れてみたいと思っています。
そして、平城遷都の際、元明天皇一行がどこをどう通って平城京に至ったのか、真実が知りたいのです、
何か手掛かりがあれば。
ささやかな僕のひとつの夢です。