七四三年五月五日の五節舞

小学生だった頃、よくこの辺りにカブトムシやクワガタムシを捕りに来たものです。
あの当時は、川の両側にある小道や土手の上の整備された道、石段、もちろんこの看板もなく、
もっとうっそうとしていたと思います。






確かに、あの時この花が水面のところどころに、白い花を咲かせていたのを
おぼろげながら憶えているのですが、
ここまで川一面に繁茂していたわけではありませんでした。
保護活動によってこの周辺の流域は整備され、今では川一面に咲き誇っているのです。





バイカモ(梅花藻)は水温の上がらない高山に生息するのが特徴で、
キンポウゲ科の水生植物で川底に群生し川の流れに沿うように育つ多年草です。


ここ兵庫県新温泉町にある田君(たきみ)川のバイカモは、河口から約4km、
標高わずか10数mの水域に群生しています。
しかも七釜(しちかま)温泉や浜坂温泉の泉源に近い田君川のような地域条件のところに

咲いているのが、学術的に非常に珍しくてたいへん貴重とされています。




なにか水に咲く妖精みたいですね。

いや、自分が妖精なのかも…

そんな錯覚にも陥ります。



人の世の歴史とは無関係に、
ずっとこのおとぎ話に出て来るような世界をかもし出し続けて来たような気がします。

どうでしょうか、人の世の移り変わりを、
ずっと見て来たのでしょうか。






このバイカモ、5月から8月にかけて水面いっぱいに白い花を咲かせます。


次の写真はバイカモが咲き始めた5月4日の撮影です。




この、初夏の季節、
古代、七四三年五月五日、恭仁京内裏において皇太子阿倍内親王五節舞を舞いました。
後の孝謙天皇ですね。




五節舞とは本来、農耕習俗に根ざした田舞、ことに大和地方の歌舞だったと思われます。
しかし七四三年五月五日の節に、皇太子阿倍内親王が舞った五節舞は、
礼楽を重視した政治的意図にもとづいて始められたもので、
これが田舞から分離した五節舞という女舞の成立の端緒となったようです。





もうしばらくこの花のじゅうたん(古代の歴史)を散歩して行きたいと思います。