大和〜明日香路 旅日記 4

法興寺

元興寺

飛鳥寺

日本最古の寺、


次に、飛鳥寺に行ってみました。


六四四年、法興寺(飛鳥寺)で催された蹴鞠会の最中に、中大兄皇子の皮鞋が脱げました。
それを拾って掌にのせ、うやうやしく差し出した巨漢が中臣鎌足、後の藤原鎌足でした。
史上に名高い、この劇的な出会いは、中大兄皇子に近づくための、
鎌足の意図的なアプローチともいわれます。



この、すぐ反対側には、“蘇我入鹿首塚”があるんですが、
名前からして少し怖いので撮影はしませんでした。


六四五年(大化元)六月十二日、飛鳥板蓋宮において、三韓(高句麗百済新羅)からの貢物を
天皇にさしだす儀式の最中、中大兄皇子鎌足らは蘇我入鹿を殺害。ついに権力奪取のクーデターに
成功しました。この事件が世にいう「乙己の変」です。


旻(みん)法師のもとで共に学んだ蘇我入鹿の専横をにくんだ鎌足は、ひそかに宮廷内での最も有能
なる中大兄皇子と通じて、謀をたてたのでした。



飛鳥寺は五八八年(崇峻元)、蘇我馬子が発願し、五九六年に創建された日本最初の寺でありました。
蘇我氏の氏寺として建立されたが、高句麗の慧慈(えじ)、百済の慧聡(えそう)らの渡来僧が住し、
飛鳥時代の仏教の拠点として繁栄しました。
大官大寺・川原寺・薬師寺とともに飛鳥の四大寺と称され、唐から帰朝した道昭も当寺の東南に
禅院をたてて住し、法相の教えを広めました。




ここでまた断片的な、かすかな記憶がよみがえってきました。
ここも、大学時代に訪れたような気がしたのです。
周囲の景観と、このお寺を見てそう思いました。
でも自信を持って“来た”と言えません。
なにせ、大学時代の記憶に、いろんな場面、場面があって、重なり合っていて、
正しく順序立てできないのです。
なにか、幻のような感じです。
自分でも、実際にここに来たのか来てないのか、知りたいのです。
それはさておき、




平城遷都にともない、七一八年(養老二)平城京に移され、旧地の寺は平城京元興寺に対して
元興寺と呼ばれました。