大和〜明日香路 旅日記 5

“みやこ”という語は本来、みや(宮)+こ(処)、
つまり天皇の居る場所を指す言葉であり、天皇が移動すればそれにしたがって
常に移り変わるものでありました。


  継体天皇   507年 樟葉宮
   〃       511年 筒城宮
   〃       518年 弟国宮
   〃       526年 磐余玉穂宮
  安閑天皇   534年 匂金橋宮
  宣化天皇   536年 檜隈盧入野宮
  欽明天皇   540年 磯城嶋金刺宮
  敏達天皇   572年 百済大井宮
   〃       575年 訳語田幸玉宮
  用明天皇   585年 磐余池辺双槻宮
  崇峻天皇   587年 倉梯柴垣宮
 ☆推古天皇   592年 “豊浦宮”(とゆらのみや)

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飛鳥豊浦宮は「日本書紀」のみにみえる推古天皇の宮。
五九二年の即位から小墾田宮へ移る六〇三年まで居住しました。
元興寺縁起」「三代実録」によれば、宮跡を豊浦寺にしたとしています。
現在の奈良県明日香村豊浦の向原寺(むくはらでら)下層からは宮殿遺構が発見されています。




推古天皇は、記紀系譜上の第三十三代天皇です。
五九二年異母弟の崇峻天皇蘇我馬子に殺された後をうけ、最初の女帝として即位しました。
甥の聖徳太子や馬子を政治の中枢にすえ、中国の隋との国交を開くとともに、
冠位十二階や憲法十七条を制定、それに対応する宮廷の制度・儀礼の整備につとめました。
天皇記」「国記」などの史書の編集も行われ、飛鳥寺(法興寺)・斑鳩寺(法隆寺)なども造営されて、
仏教を中心とする飛鳥文化がこの時期に開花しました。



ここから少し行ったところに、“聖徳皇太子御誕生所”の石碑がありました。
ちょっと目にとまったので写しました。
背後に流れているのは飛鳥川です。
このあたりで生まれたということなのでしょうか。


石碑の背後にある住宅の向こう側が飛鳥寺、さらには岡寺、
その右前方の山すそあたりが石舞台古墳になると思います。




レンタサイクルのタイムリミットが近づいていましたので、
来た道をもどって行きました。
ここを左に入って行けば飛鳥寺に行きます。




たった一時間半のサイクリングでしたが確かなものを見ることができました。
明日香村はいろんなところにレンタサイクル店があります。
夕方4時50分、万葉文化館のとなりある創作料理店、“酒船亭”に自転車を返し、
この日の明日香散策は終わりにしました。