法華寺

平安時代末期に生きた平清盛は、
古い書物を読むことが好きで、
天皇家外戚となって家格をゆるぎないものとする手腕を持つという、
それを範とした人物が、清盛の時代から遡ること四五〇年ほど。
それは藤原不比等だったと、ある本には書かれていたのですが、
どの本だったのかはっきり憶えてないのです。
今まで読んだ本をいろいろ読み返してみましたが、
その個所を発見することができません。


このことが史実なのか単なる俗説なのか自分にはわかりませんが、
少し興味深いのでそれを突きとめたいのです。
しかし今のところ信頼できる文書には出会っていません。



ここは平城宮跡の東隣にある法華寺です。
正式には法華滅罪之寺と称し、門跡氷室御所ともいいます。



聖武天皇の皇后光明子が父藤原不比等の邸宅を相続して皇后宮とし、
さらに寺院に転じて宮寺と称しました。
これが大和の国分尼寺として法華寺と呼ばれ、総国分尼寺の立場におかれました。



以前にも申しましたが、
平城遷都の理由のひとつに藤原不比等の野望があったこともあげられるようです。
天皇家外戚となり、孫の聖武天皇のために計画された都ともいわれます。
その証拠に、この藤原不比等の旧宅は平城宮に隣接しています。
さらに官人の住む京を見下ろす位置にあるのもその権威を示すものと思われます。