清滝会


東大寺要録』によると、良弁(ろうべん)は羂索院において聖武天皇、皇太子・阿倍皇女、光明皇后のた
めに、
願い出て諸寺の聴衆を集め、はじめて法華会をおこなったとあるようです。
やがてこれは桜会とよばれ、百年の後まで行われ続けたようです。


聖武天皇は、天璽国押開豊桜彦尊(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのみこと)ともよばれます。
植物の名前が入ったおくり名は、他のどの天皇にもないそうです。
桜会をこよなく喜んだ聖武天皇にちなむものなのでしょうか。



桜会”は、奈良時代以降、毎年二〜三月の桜花爛漫の時期に大寺社で行われた法会です。
仏心の恩徳に感謝する法会のあとに、観桜の宴を催しました。
 

京都市伏見区醍醐寺をはじめ右京区仁和寺などでも行われました。
とくに醍醐寺のものが有名で、同寺清滝宮前で催されたので清滝会ともよばれ、
のちに桜会といえばそれをさすようになりました。


清滝会は一一一八年(元永元)三月十三日に始められ、現在も四月に行われます。


一一一八年、この年、白河法皇落胤ともいわれる平清盛は生まれます(推定)。