伊勢物語〜第五十九段 東山

最近めっきり春めいてきて、今までの寒さはどこに行ったのかというような日々の天候なのですが、でもまだ彼岸の頃まではわかりません。
伊勢物語は事実をそのとおりに書いた物語ではないようですが、何かその背景に物語の土台となるものが含まれているように思えます。


例えば、第五十九段目の『東山』は、
“ むかし、男、京をいかが思ひけむ、東山に住まむと思ひ入りて、
  住みわびぬ今はかぎりと山里に身をかくすべき宿もとめてむ
 かくて、ものいたく病みて、死に入りたりければ、面(おもて)に水そそぎなどして、いきいでて、
   わが上に露ぞ置くなる天(あま)の河(がわ)とわたる船の櫂(かい)のしずくか
 となむいひて、いきいでたりける。”


現代語に訳せば、
“ 昔、男が京の生活をどう思ったのであろうか、東山に住もうと思いこんで、都に住むのがつらくて嫌になった。今はもう都住まいもこれまでと思って、山里に身を隠すべき住まいを求めよう。 と詠んだ。
このようにして、おとこはひどい病気にかかり、次第に死の状態に入ってしまったので、人々が顔に水をかけたりしているうちに、ようやく生き返ってきて、
  私の顔に露が降りたようだ。これは天の川の門を渡っていく舟の、櫂のしずくが落ちてきたのかしら。と詠んで、生き返ったということだ。”  となります。


当時の東山は閑静な山里であったらしいです。こうした山里に住みたいという隠遁の思想は王朝期の貴族一般の傾向であったようです。
また、わが国には古来から、高い身分の人の流離、漂泊の思いが重要なモチーフとなって文学を形成する伝統があるようです。
“住みわびぬ”(都に住むのがつらくて嫌になった) とありますから男の隠遁の希望は何等かの政治的、社会的失意に基ずくものがあったかとも思われます。
この五十九段を読んで素人の自分からしても、業平の影がちらほらと、また、この時代の情景を垣間見るようにも思うのですが。


また、第七段、第八段、第九段などにもこの第五十九段の東山の物語と似たようなことが書かれています。
伊勢物語をそのまま史実と受けとめるのは愚かな行為でしょうが、どこに事実が含まれているのか吟味するのが不可欠であり、非常に面白いことのうように思うのですが。そういう意味で最近とても伊勢物語が興味深くなってきました。