2011-01-01から1年間の記事一覧

七四三年五月五日の五節舞

小学生だった頃、よくこの辺りにカブトムシやクワガタムシを捕りに来たものです。 あの当時は、川の両側にある小道や土手の上の整備された道、石段、もちろんこの看板もなく、 もっとうっそうとしていたと思います。 確かに、あの時この花が水面のところどこ…

城崎温泉の歴史 3

歴史の古い温泉地には、必ずといっていいほど発見伝説がまといついています。これを発見者別に分類すると、つぎのようになります。 1. 神仏 有馬 道後 玉造 2. 修験者・高僧 イ、役小角 竜神 五色 伊豆山 ロ、行基 草津 山中 山代 ハ、空海 修善寺 法師 …

城崎温泉の歴史 2

地下から自然に熱い湯が湧く。しかもそれは飲んでも浴しても身体に効く。 古代の人は、そこに、人間以上の不思議な霊力をもつもの、つまり、“神”の恵みを感じ、 やがて、温泉そのものを神として崇拝するようになったようです。 全国の古い温泉地にみられる温…

城崎温泉の歴史 1

城崎温泉は兵庫県北部、但馬を代表するいで湯です。 古くから文人墨客に愛され、レトロな街並みが若い人たちにも受けているようです。 伝説の世界では、城崎温泉は今から約千三百五十年前の欽明天皇の時代に、初めて登場します。 傷ついたコウノトリが、水た…

伯耆国庁跡

風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩を 取つづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて 咳ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)かき撫でて 吾を置きて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻ぶすま 引きかがふり …

笏と長屋王

仏教説話集である『日本霊異記』には長屋王について、 天平元年二月八日、元興寺の大法会で衆僧に仕える司に任じられた長屋王は、一人の沙弥(しゃみ)が 濫りがわしく供養の飯を受けているのを見て、象牙の笏(しゃく)で沙弥の頭を打ちつけた。 沙弥は血を流し…

猿沢池散策

もう当分の間、奈良には来れないと思い、またこうして奈良へ来てみました。 今まで、ありがたい限りで二連休の設定で休みをもらっていましたので遠方へ赴くことができたのですが、 残念ながら転勤になり、こうしてまた。 また再び簡単に連休が取れるとは限り…

万葉の色

万葉は、万(よろず)の言の葉… 万代の集… 多くの詩華の集… 藍はタデ科の一年草アイからとった染料。 平安時代頃までは野生の山藍ですった青緑色が藍で、藍染による青色を藍というのは中世以降のよう。 茜はアカネ科の多年生蔓草で、橙色の根からやや沈んだ赤…

古代の地方行政府、国府

国府は奈良・平安時代、中央の朝廷が地方を治めるために設けた計画的な政治都市で、 当時の政治・経済・文化の中心地でありました。 この付近一帯は、古代の計画的な土地区画整理事業ともいえる「条里制」が実施され、 整然とした区割りがあったとされています…

桜咲いて

ここは朱雀門。 前方の道は朱雀大路。 平城京の朱雀大路の路面幅は、六十七メートルほどもあったようです。 ここから真っ直ぐ行けば、羅城門に突き当たり、 羅城門をくぐればそのまま下ツ道となり、藤原京へと続いています。 七〇七年、子の文武天皇の譲位の…

下ツ道を通って

古代、奈良盆地には南北に三本の道が走っていました。 東から、上ツ道、中ツ道、下ツ道。 このうちの下ツ道は、平城京の中心となる朱雀大路にもあてられ、さらにその痕跡は 平城宮内を貫通して北に延びていたようです。 そして、奈良盆地における条里制施行…

悠紀殿、求めて

あおによし 奈良の都は 咲く花のにほふがごとく 今さかりなり 夕方、平城遷都1300年祭の余韻の残る、この奈良の平城宮跡に着きました。 少し日が永くなってきた今日この頃。 風は冷たかったですが、空は晴れ渡っていました。 これは復元された宮内省の建…

因幡の国司

奈良時代から平安時代にかけての、比較的名前の知られた因幡の国司を紹介します。 船秦勝 (ふねのはたかつ) 守。従五位下。文武四年(七〇〇)、因幡国守として最初に名前が登場。朝廷から封三十戸を賜った。その二年前に銅鉱を献上したことが認められたのか。…

伯耆国庁法華寺畑遺跡

旅人は神亀四年(七二七)には、遠の朝廷(とおのみかど)といわれた九州の大宰師に左遷された。 このとき、幼い家持も一緒に九州へ下ったようです。 旅人にとってこの地で最も大きな打撃だったのは、愛する妻の大伴郎女を病気で亡くしたことだったのです。 “世…

悠紀の国

悠紀(ゆき)の国は、大嘗祭にあたり、悠紀殿(ゆきでん)での夕御饌(ゆうみけ)として供進するための新穀を奉るように定められた国のこと。 悠紀殿は、大嘗祭に際して造営される大嘗宮のうち、東方に設置される殿舎です。大嘗宮の建設地は、古くは大極殿または紫…

三月三日、春の雪に降られて

二月は、あたたかく好天の日が続きましたが、このまま春に向かうのはやはり甘く、天は許してくれませんでした。思った通り、彼岸の頃までは寒さがぶり返すことがあります。 前回の記事と同じく、雪の降りしきる因幡国府となりましたが、家持が万葉集最後の歌…

伊勢物語〜第五十九段 東山

最近めっきり春めいてきて、今までの寒さはどこに行ったのかというような日々の天候なのですが、でもまだ彼岸の頃まではわかりません。 伊勢物語は事実をそのとおりに書いた物語ではないようですが、何かその背景に物語の土台となるものが含まれているように…

在原行平の歌碑

たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとしきかば 今かへりこむ これは、『小倉百人一首』のなかに収められている有名な歌です。 前回の記事でも、去年の因幡国府の記事でも紹介しました。 大伴家持歌碑のところの道路をはさんで反対側にあります。 斉衡二…

雪の因幡国府

しばらく暖かい日が続いていましたが、二月に入って久しぶりの雪が降り、 因幡国府に行ってみました。 大伴家持がこの歌を詠んだ時の、その時に行ってみることができるような気がして。 ずっと以前から雪の因幡国府に行ってみなければならないと思ってました…

三十六歌仙

三十六歌仙は、藤原公任の『三十六人撰』に選ばれた歌人である。 柿本人麻呂 紀貫之 凡河内躬恒 伊勢 大伴家持 山部赤人 在原業平 僧正遍照 素性法師 紀友則 猿丸太夫 小野小町 藤原兼輔 藤原朝忠 藤原敦忠 藤原高光 源公忠 壬生忠岑 斎宮女御(徽子女王) 大…

伊勢物語〜序章への旅

休みをもらい、奈良の春日の里へ行ってみました。 奈良公園には鹿がたくさんいて、人になついていてかわいいもの。 この辺の風景も、大学時代よく見ていた風景です。 伊勢物語は、平安時代の歌物語であり、作者と成立年はよくわかっていないようです。 しか…

賀茂斎院

京都、上賀茂・下鴨神社と呼ばれることになるカモ神社の成立について述べます。 『賀茂・鴨』、あるいは『加茂・可茂』などと書くカモの神は、もとは大和の西南部、葛城地方にあった神のようです。 『風土記』によると、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと…

二方神社

これは兵庫県美方郡新温泉町浜坂にある二方神社(ふたかたじんじゃ) です。 美方郡はかつて明治の中ごろまでは但馬国二方郡(ふたかたぐん)と呼ばれていました。 国名の由来を見ていくことにします。 二方郡は明治二十九(一八九六)年三月に、南接する七美郡(し…

荒砂神社

荒砂神社は鳥取県岩美町の浦富海岸にあります。 元亀三年桐山城にいた山中鹿之助がこの社に戦勝祈願をし、鳥取城攻略をしました。 海辺の小山の上にあり、ここから東側には浦富海岸が延々と広がっており、風光明媚なところです。 ここにいると、いつも波の音…

宇部神社

これは鳥取県国府町宮下にある宇部神社(うべじんじゃ)です。 ] 平安時代の因幡の政務の一端を伝える記録に「時範記」があります。 時範記は、平時範が承徳三(一〇九九)年二月に国守として因幡国に下るところからはじまります。 京を出て山崎に宿泊した一行は…

白兎神社

これは兎(うさぎ)に見えますか。 ここは、稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)の神話で有名な鳥取市の白兎海岸(はくとかいがん)です。 『古事記』が、“是に気多(けた)の前に至りし時、裸の兎伏せりき”と語っているのはこの風景の描写ではないかと見られています…