講演会の帰りに

ほんとうに、短期間のうちに空気が秋の空気に変わってしまいました。 因幡国庁跡です。 空気が澄んでいて、とても透明感があります。 思えばこの因幡国府で大伴家持に出会ってからちょうど一年ぐらいが経ちました。 この一年の三分の二ぐらいは万葉の時代、…

万葉集 巻二 一〇五

万葉集では夏・冬の歌に比べて春・秋の歌がはるかに多いようです。 また、秋の歌は春よりも一段と多く、万葉人はこよなく秋を好んだようです。 次の歌も、秋に作られた歌です。 “ 我が背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に 我が立ち濡れし ” この歌に素直…

秋の空

また最近になって太平洋高気圧が勢力を強め、真夏並みの暑さとなっています。 まだまだ夏と秋がせめぎ合っている感じです。 でもこの空を見る限り、秋ですね。 この歌を詠めば、 ひんやりとした風が吹き抜けて行く情景が浮かびます。 盛りの季節、夏ではなく…

稲刈りの頃に

二、三日前、 秋らしくなってきたのかな… と思っていましたが、今日はまた夏の空気が盛り返してきたようです。 今の季節、夏と秋の狭間という言葉が当てはまるのでしょう。 でもこうして稲の穂が色づき、わが町でも稲刈りが始まりました。 八月に比べると、…

秋を感じて

台風が通過してから三日ほどが経ちましたが、 今日、抜けるような青空のなか、 今までの蒸し暑い空気とはまったく違う、 秋の空気を感じました。 思わず、因幡の白兎の神話で有名な白兎海岸を撮ってみました。 ずっと以前は、古代というと卑弥呼のいた時代と…

西宮

朝堂院は宮城(大内裏)にあって政務・儀式などが行われた宮内の中心的施設です。 朝堂の字句はすでに七世紀の文献に散見するが、朝堂院の語がみえるのは長岡京の時代であり、 平安時代には八省院と称されました。 構造は北から天皇が出御する大極殿、臣下が朝…

竹田城

これは以前にも紹介しました竹田城です。 兵庫県和田山町の竹田城は但馬守護山名氏の家臣太田垣氏が居城し、天正五年(一五七七) 織田信長の部将羽柴秀吉の但馬攻めがはじまると秀吉の弟秀長が拠り、桑山重晴が継ぎ、赤松広秀 が現在も見られる石積みの城に改…

大和〜明日香路 旅日記 7

翌朝、天武・持統天皇陵を訪れてみました。 天皇陵は、こんもりと小高い丘の上にありました。 七二九年八月十日、聖武天皇の夫人で藤原不比等の娘である光明子が皇后になりました。 臣下の女性が天皇の正妻として皇后になるのは、これが最初です。 皇后の称…

大和〜明日香路 旅日記 6

向こうの丘の上に見える建物は万葉文化館です。 ここから視線を90度ほど右に向けて、小道を少し歩いて行くと、 小さな社、大原神社があります。この辺りは藤原鎌足の誕生地のようです。 先の看板にもありましたように、この神社の奥の小道を下りた竹田川の…

大和〜明日香路 旅日記 5

“みやこ”という語は本来、みや(宮)+こ(処)、 つまり天皇の居る場所を指す言葉であり、天皇が移動すればそれにしたがって 常に移り変わるものでありました。 継体天皇 507年 樟葉宮 〃 511年 筒城宮 〃 518年 弟国宮 〃 526年 磐余玉穂宮 安閑天…

大和〜明日香路 旅日記 4

法興寺、元興寺、飛鳥寺、日本最古の寺、 次に、飛鳥寺に行ってみました。 六四四年、法興寺(飛鳥寺)で催された蹴鞠会の最中に、中大兄皇子の皮鞋が脱げました。 それを拾って掌にのせ、うやうやしく差し出した巨漢が中臣鎌足、後の藤原鎌足でした。 史上に…

大和〜明日香路 旅日記 3

大学時代に、たしか訪れたことがあると思いながら、 その場所へ行ってみました。 でも記憶が確実ではありません。 クラブで明日香村に遊びに来た時にこの目で見たような気がするのです。 借りてきたレンタサイクルをこいでいくと、 骨董品を置いているような…

大和〜明日香路 旅日記 2

今まで、京都が好きで平安時代が好きな自分でした。 七九四年という門の向こうを覗いてみる気もなかった。 ブログを始めてしばらく、以前から気になっていた因幡国庁跡と、 因幡万葉歴史館に足を運んで出会った“大伴家持”。 僕が大学四年間を過ごした奈良の…

大和〜明日香路 旅日記 1

思ったよりも早く、その機会を得ることができました。 計画的には、あと一カ月先にするはずだったのですが、 主任に連休を頂き、これを逃すことはできないと思い、 すこし早く赴いてみることにしました。 明日香の里をおとずれる前に、奈良の唐招提寺に足を…

城崎温泉の歴史 8

これまで申しましたように、 一四〇〇年の伝統を持つ城崎温泉は、「歴史と文学といで湯の街」として、 また昔から保養温泉地として親しまれ、文人・墨客が多く訪れており、 四囲緑につつまれ、その中に大谷川の柳桜並木、 それに橋と川と玄武岩の石積み、和…

城崎温泉の歴史 7

大正十四年五月二十三日に発生した北但大地震によって、 城崎温泉はほぼ完全に焼き尽くされました。 旅館や民家、商店など人の手が加わったものは灰になったか破壊されました。 宿代が一日一円の時代に、被害総額は千二百万円を越えていたそうです。豊岡出張…

城崎温泉の歴史 6

“山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、 その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出かけた…。”これは、名作『城の崎にて』の冒頭です。 白樺派の文豪、志賀直哉が最初に城崎を訪れたのは大正二年であった。 その年の八月十五日に東京で電車に跳ね飛ばさ…

穴見郷、そして出石神社

池麻呂、糟麻呂、藤麻呂、田吉女、小当女を追って その故郷へ これは豊岡盆地の真ん中を突き抜けた後、狭い山峡を流れて日本海に注ぐ円山川。 自分からすれば、ちょっとした大河に見えてしまう。 梅雨の明けた夏空の下では至る所から太陽光線や紫外線などが…

浦富御台場跡

以前からよく通る海辺の国道に、“お台場公園”の看板が目についていたので、 朝から夏の日差しが照りつける中、行ってみました。 自宅からは車で二十分ほど。 ここは鳥取県岩美町浦富(うらどめ)海岸にある“浦富御台場跡”です。 そもそも御台場(台場)とは、一…

観音山相応峰寺

行基がどんなお坊さんだったのかほとんど知りませんでした。 “ 弟子の僧・景静ら攀号するも及ばず。瞻仰するも見るなし。 ただ砕け残れる舎利あるのみ。しかれども尽く軽き灰なり。 ” これは『瓶記』による行基の火葬の様です。 七四九年二月八日、荼毘にふ…

城崎温泉の歴史 5

湯島(城崎)に押された“日本一の湯”という太鼓判は、たちまち効果を表しました。 備前(岡山県)の岡山藩士、河合章堯(かわいしょうぎょう)は享保十三年(一七二八)九月、 藩主から暇をもらい伊勢神宮参りをした足で、すぐに湯島を訪れた。 備前の人間が伊勢へ行…

城崎温泉の歴史 4

城崎温泉街のあるこの地は、以前は“湯島”と呼ばれていました。 その湯島の近世は出石の傑僧・沢庵和尚(一五七三〜一六四五)の登場で始まります。 沢庵はたくあん漬けの発明者として知られているだけでなく、 寛永四年(一六二七)に起こった紫衣(しえ)事件で、…

鳥取城

これは以前にも“豊臣秀吉の鳥取城攻め”で紹介した久松山です。 戦国期の鳥取城の歴史を知っている人なら、この久松山を見るととても胸に迫ります。 標高二六三メートルの久松山にはじめて城が築かれたのは天文十四年(一五四五)二月中旬のころといわれていま…

七四三年五月五日の五節舞

小学生だった頃、よくこの辺りにカブトムシやクワガタムシを捕りに来たものです。 あの当時は、川の両側にある小道や土手の上の整備された道、石段、もちろんこの看板もなく、 もっとうっそうとしていたと思います。 確かに、あの時この花が水面のところどこ…

城崎温泉の歴史 3

歴史の古い温泉地には、必ずといっていいほど発見伝説がまといついています。これを発見者別に分類すると、つぎのようになります。 1. 神仏 有馬 道後 玉造 2. 修験者・高僧 イ、役小角 竜神 五色 伊豆山 ロ、行基 草津 山中 山代 ハ、空海 修善寺 法師 …

城崎温泉の歴史 2

地下から自然に熱い湯が湧く。しかもそれは飲んでも浴しても身体に効く。 古代の人は、そこに、人間以上の不思議な霊力をもつもの、つまり、“神”の恵みを感じ、 やがて、温泉そのものを神として崇拝するようになったようです。 全国の古い温泉地にみられる温…

城崎温泉の歴史 1

城崎温泉は兵庫県北部、但馬を代表するいで湯です。 古くから文人墨客に愛され、レトロな街並みが若い人たちにも受けているようです。 伝説の世界では、城崎温泉は今から約千三百五十年前の欽明天皇の時代に、初めて登場します。 傷ついたコウノトリが、水た…

伯耆国庁跡

風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩を 取つづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて 咳ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)かき撫でて 吾を置きて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻ぶすま 引きかがふり …

笏と長屋王

仏教説話集である『日本霊異記』には長屋王について、 天平元年二月八日、元興寺の大法会で衆僧に仕える司に任じられた長屋王は、一人の沙弥(しゃみ)が 濫りがわしく供養の飯を受けているのを見て、象牙の笏(しゃく)で沙弥の頭を打ちつけた。 沙弥は血を流し…

猿沢池散策

もう当分の間、奈良には来れないと思い、またこうして奈良へ来てみました。 今まで、ありがたい限りで二連休の設定で休みをもらっていましたので遠方へ赴くことができたのですが、 残念ながら転勤になり、こうしてまた。 また再び簡単に連休が取れるとは限り…